□投稿者/ pipit -(2024/03/25(Mon) 16:14:09)
| No36919 兄上さま、返信ありがとうございます(^ ^)
>>兄上のおっしゃる通り、実践や理論的なことは『長部』や『中部』の方がものすごく具体的に説かれているようですね!<<
> はい。といいましても、細かいことになるのですが、それを理論的なことと捉え(理解し)てしまわれない方が良いと思います。理論と捉え(理解し)てしまうと、常見や断見に陥りやすいからですね。ですので、中部や長部には、その実践とその論理(道理)が説かれてるようですよ。<
なるほどー なんにしろ『見解』にしてはならない、ということかなーと思いました。
> pipitさんが怒っている姿が、全く想像できません(笑) > 過去、仏教を学ぶ以前のお話ですが、仕事先等で怒っているお相手のお話を聞いていると、論理破綻しているのが一瞬でわかったりしたのですね。あるときは堂々と、あるときは恐る恐る論理破綻の箇所を尋ねてみたことがありますが、、どちらにしても火に油がほとんどでしたので、現在では、その個所が分かったとしても、ほぼほぼ尋ねずにスルーしていますかね(笑)<
小さな会社なので、働く人も家族的になって、私もその上司に「お父さん、」などと間違えて言ってしまいそうになるくらいなので、結局は甘えてるんだと思います (ーー;) やさしい人にはみんな甘えてわがまま言ったり理不尽な八つ当たりしたりなりがちなように思います.. 反省です...
> はい。大念処経も押さえておいた方が良い経典の中の一つですね。<
すごく網羅的に記述されてますよね。 あと、アーナパーナサティスッタも知らないながらも興味はあるんですよねー。
↓検索してでてきたブログ
https://search.yahoo.co.jp/amp/s/clover.fcg.world/2016/10/10/7053/%3Famp%3D1%26usqp%3Dmq331AQGsAEggAID
どうなるかまだわかりませんが、今のところダンマパダを読んでいきますね。 ありがとうございます♪
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