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No36886 の記事


■36886 / )  「過去」の実在性について
□投稿者/ rest -(2024/03/23(Sat) 12:22:58)
    2024/03/26(Tue) 09:28:08 編集(投稿者)
    2024/03/23(Sat) 12:36:56 編集(投稿者)

     「過去自体は普通の意味では(すなわち牛乳が冷蔵庫に保存されているようには)まったく保存されていない。保存されているのはせいぜい「痕跡」である。一方で、痕跡に戻ろうというのではない。痕跡は戻らなくとも、今現在存在しております。そして他方、過去自体は一滴も保存されていないのですから、どうあがいてもそこへはトラベルできないはずです。」(中島義道 著『時間を哲学する』講談社現代新書pp94-95)
     カント哲学者の中島義道氏も当然認識されているとおりカントは唯一無二の三次元空間を前提に展開している。無数の空間が存在していると考えるB系列論者(相対論者)とは一線を画している。B系列論者は過去にタイムトラベルできるような「過去」が実在していると考えている。マクタガートもC系列しか認めていないので「過去」実在論者である。なぜ日常では時間が客観的に外に流れているようにみえるのか、ということに少し触れてみたい。
     『キリスト教の本質』(フォイエルバッハ著 岩波文庫)によれば「神」は類(共同体)の外に投影(疎外態)されたものであり、共同体の合わされた力の大きさや相互扶助の「愛」の精神が外に投影(疎外)されたものである。共同体の内側にある精神が外に疎外されたものである。疎外とは自分がつくりだしたものが自分を支配する構造をいう。共同体が作り出した「神」によって共同体が支配されること。民主主義において例えばロシアでは選挙によってプーチン大統領を選ぶがやがてプーチンが選んだ人民を支配するようになるという疎外現象。独裁者は民主主義から誕生するという矛盾。同じように共同体精神の疎外されたものとして「神」を理解する、というのがフォイエルバッハの考え方である。これは精神障碍者の幻聴にもあてはまる。幻聴は神の声としてきこえる場合が多い。本人の共同体意識(良心)の疎外されたものとして神となり、あるいは世間の噂となり、個性を支配しようとする。(参考文献 木村敏著『自覚の精神病理』紀伊国屋書店)
     「時間」も共同体の社会的約束事であるルールが「神」と同様にそとに投影(疎外)されたものではないか。唯一無二の三次元空間があたかも無数にあるような錯覚。そしてそれが決定論的運命論と結びつき人々の自由意志を奪ってしまうという疎外現象。
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