□投稿者/ 転法 -(2024/02/26(Mon) 19:47:28)
| >なるほど。ニーチェ的には「力への意志」みたいなもんやろね。 >現代的に言えばDNAの持つ生へのベクトルってところかな。
いずれ出てきまンが、セッソーはイネイト・インテリジェンスというものは、ショーペンハウアーの「盲目なる生存意志」と同質だとおもーてマンねん。 (@´_`)ノ
>日曜学校を出たような人からアメリカで医療国家資格をとるくらいのレベルの人までいるんやろか?
その通りでおマス。 アメリカで資格を取っても、テクニックができるわけでもおまへんしなー。 古典的原理主義者もおりますしね〜。 まあ、資格制度化を進めている方々もおられまンが、いつになることかわかりまへんな。 (* ̄д ̄)y─┛~~
>転法祖師としては両極を避けて中道を提起したいってことかな。
問題提起というより、言いたいことを書きなぐっているみたいな感じでッかね。 こんなことも書いておりますでおマス。
しかしながら、知り得ぬと言う点において「イネイト・インテリジェンス」は、我々にとって「怪物」である。 ニーチェは「善悪の彼岸 146節」で「怪物と戦う者は、自らも怪物にならぬよう心せねばならない。深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ。」と言っているが、これはカイロプラクターにも当てはまる。 戦わんとするあまりに、急進的・原理主義的、あるいは神秘主義的になりすぎて、カイロプラクター自身がわけのわからない者=怪物になってしまうことは大きな問題である。 一方で、表象しか見ない科学的な認識では、「イネイト・インテリジェンス」には永遠に近づけない。 その意味では、「イネイト・インテリジェンス」を語るためには、仏教で言う中道こそ、まさに正しい道であろう。 カイロプラクターを名乗るのであれば、すべからく「中道」を歩まなければならないのだ。 すべてが光に包まれた世界では、完全なる闇と同様に何も見えない。光と闇により色彩が生まれると言ったのはゲーテだったと思う。 そう言えば、ショーペンハウアーはゲーテの弟子でもあった。
(´-ω-`;)ゞポリポリ
正法無常宗祖師 沙門転法(/\)南無一切無常絶対超越真理
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