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Re[8]: 超越論的分析論\−1
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□投稿者/ pipit -(2024/02/07(Wed) 00:33:11)
| 2024/02/07(Wed) 10:07:39 編集(投稿者)
うましかさん、こんばんはー(^○^)
No36429 もうなんなんですかねー このカント沼 ヽ(;▽;)ノナゾ
演繹論は、純理の中の難所中の難所として、御子柴先生も『さあ、たいへん・・・・・・。』とおっしゃってますもんね(『カント哲学の核心』p109)
> (゚Д゚; )(;゚Д゚) カント沼<
うまさんも、しかさんも、困惑してる!
> ◇ 法律学者たち〔Rechtslehrer〕は、彼らが権限〔Befugnussen*1〕と権利の主張〔Anmassungen*2/claims〕について論ずるときには、一つの訴訟事件について、何が合法的であるか〔was Rechtens ist〕に関する問題(quid juris 権利問題)を、事実〔Tatsache〕に関わる問題(quid facti事実問題)から区別し、両者〔権利問題と事実問題〕について証明〔Beweis〕を要求する > > *1 権限、権能、資格 > *2 不当な行為 ・・・ 越権
> ◇ 彼らは、第一の証明〔権利問題〕、つまり権限〔Befugnis〕、或いは権利の要求〔Rechtsanspruch*3〕を立証すべき証明を、演繹〔Deduktion〕*4≠ニ呼ぶ。 > > *3 権利の主張、法律上の請求権 > *4 中山元訳2では、「根拠づけ」と訳す。<
立証すべき証明 が、演繹〔Deduktion〕*4≠ゥぁ。
カントの時代では、法律の場で『Deduktion』という用語が一般的に使われてたんですかね。
wikiの『演繹』のページには、
『イマヌエル・カントは、通常の意味とは異なった形で演繹 (Deduktion) という語を用いている。カントにおいて演繹とは概念の正当性の証明を意味する。最も代表的な例は『純粋理性批判』におけるカテゴリー(範疇)の超越論的演繹である。演繹のこのような用法は当時の法学用語に由来するといわれ、カントのいたるところにみられる。』
とありました。
演繹沼... ( ゚д゚) 図式沼... ........ 二律背反沼......... そしてやがて辿り着けるのか、道徳の大沼....
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