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No36364 の記事


■36364 / )  「原則の分析論」純粋理性批判B172
□投稿者/ pipit -(2024/02/03(Sat) 00:06:35)
    みなさまこんばんは(^ ^)
    次の文章が全然意味がわからなかったので、ここまで訳した文章を振り返ってからもう一度見てみます。
    ----------------------------
    序.超越論的な判断の能力一般について

    もし悟性一般が、法則や規則の能力と定義されるなら、
    判断の能力は規則のもとに包摂する能力と言えるだろう。
    つまり、与えられた規則の下にそれがしたがうかしたがわないか(与えられた規則の事例かどうか)を判別する能力である。

    一般論理学には、判断能力のための指示や原則は含まれていないし、そのようなものを含むこともできない。
    というのも、認識のすべての内容を抽象化する以上、認識には、概念、判断、推論という認識の単なる形式を分析的に明らかにし、それによって知性(悟性)の使用のための形式的規則全てを確立するという義務しか残されていないからである。
    ----------------------------

    続きの英訳
    Now if this logic wished to give some general direction how we should subsume under these rules,
    that is, how we should distinguish whether this or that did or did not stand under them,
    this again could not be done otherwise than by means of a rule.

    とりあえず略すると、、、

    this again could not be done otherwise than by means of a rule.

    「これもまた、規則以外にはありえない。」

    何に対して規則以外にあり得ないの?

    (how)に対して。

    何の(how)?

    how we should subsume under these rules,

    「我々はどのようにこの規則の下に包摂するべきか」



    もまた規則.....

    ふむー...改めて日訳にチャレンジしてみます。

    (英訳の日訳)
    「もしもこの論理学が、我々がどのようにこれらの規則の下に包摂するかについての一般的な指示を示したい、、、つまり、我々がこの下に包摂するか否かをどのように区別するのかを示したいならば、これもまた規則によるしかないのである。」

    (pipit感想)
    その概念が成り立つ規則があるとして、
    規則(概念)に合致するものとしてある事象を包摂させるのにも、また同じ規則を用いるしかない。。。
    包摂するか否かは、内容と内容の照らし合わせになるので、内容を抽象化してしまう(捨象してしまう)一般論理学には概念に個別を包摂するか否かの判断についての記述は無いということかなぁ。。。

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