□投稿者/ 時 -(2024/02/02(Fri) 23:51:20)
| パニチェさんへ。こんばんは。返信をありがとうございます。
■No36356に返信(パニチェさんの記事)
>>過去にある方から、”ロダンの考える人”について少し教えていただいたことがありましたが、妙にその時のことが蘇りました。
> もしよかったら私にも教えて下さい。
お伝えするほどのものでもないと思うのですが、その方も人生哲学をされていたようで、その方の世界観での悟りのお話をしていただきました。一つの言葉に多くの意味合いをこめて書かれる方で、悟り、さとり、覚り、サトリと、使い分けておられたように思います。
ロダンの考える人については、歴史的にとか彫刻として等としてのお話ではなくて、その方の世間に対する見え方をロダンの考える人に例えられていたのだろうと思います。その方がお話しされている伝えたい内容を周りのほとんどの方が理解できないと同時に、真剣に効く耳もないようだといった意味合いがあったのでしょうか。それが地獄門の上で一人頬杖をつきながら地獄で蠢く住民を、思案しつつ見ている姿になぞらえておられたのだと想像します。
Xのポストを見ていると、何かふとその時に感じた雰囲気が蘇ったのです。
原始にも、人の死後の転生先として再度人に転生するものは少なく、餓鬼界に転生する者の方こそが多い。と言うものがあるのですが、大まか私の見たXの世界は、原始で言うところのその餓鬼界への予備軍が渦巻いているように見えたという事です。悲しい世界です。
ご返信はお気遣いなく。
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