□投稿者/ おくたがわ -(2024/01/24(Wed) 17:48:19)
| 2024/01/25(Thu) 19:56:48 編集(投稿者)
話題になっていた「言語哲学がはじまる」を読みました。
論理形式と論理空間の意味が分りやすく説明されていて収穫でした。
以下、『 』内は「言語哲学がはじまる」からの引用 -WS と付けた部分は「ウィトゲンシュタインセレクション」の「論理哲学論考」に関する章からの関連部分抜粋。
対象の論理形式 : その対象が、どの可能的な事態に現れ得るか、その論理的可能性のこと。 (2.0141 対象が諸事態のうちに現れる可能性が、すなわち対象の形式である -WS) 語の論理形式 : その語が、どの有意味な文に現れ得るか、その論理的可能性のこと。
(「事態」だけで「可能的」の意味が含まれるが、念のため「可能的な事態」と表現する(著者野矢茂樹)とのことです)
。o0 「富士山は-噴火したことがある」は有意味で真 「富士山に-小惑星が衝突した」は有意味だが(この世界では)偽。 「富士山は - 素数である」は無意味 各語について、有意味な文に現れ得る他の語との結びつき全体が、その語の(論理)形式。 0o。
『有意味性の最終的な根拠は、実際の私たちの言語使用にあると言われています。』 『対象の論理形式と語の論理形式は厳密に一致する。』
事実を分解して対象を組み立てなおして事実でない事態を捉えるということはできない。 それは、言語の側で、文から語を取り出し組み立てなおして、有意味だが偽である文を作り、対応する事態を捉える方向でのみできる。 (と野矢茂樹は言っている(と私は読んだ))
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可能的な諸事態のうち、実現しているもの(事実)の組合せで、その世界のありようが決まる。 (2.04 存立する事態の総体が世界である -WS) それらすべての(可能な)世界の集合が「論理空間」
この世界(w1)では「富士山に-小惑星が衝突した」は偽で、「富士山は-噴火したことがある」は真だが、 そうではない可能世界も考えられる。(富士山が噴火した歴史が無かったり、富士山に小惑星が衝突したことがある世界) w2 「富士山に-小惑星が衝突した」-真 &「富士山は-噴火したことがある」-真 w3 「富士山に-小惑星が衝突した」-偽 &「富士山は-噴火したことがある」-偽 w4 「富士山に-小惑星が衝突した」-真 & 「富士山は-噴火したことがある」-偽
そんな風に有意味な文に対応する諸事態の中で事実であるものの組合せが異なる世界が考えられる。 それらの全てを要素とする集合 {w1,w2,w3,w4,…} が論理空間
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フレーゲ「語の意味は文の意味との関係でのみ決まる」(文脈原理) に対し、 ウィトゲンシュタイン「語の意味は言語全体との関係でのみ決まる」(全体論的言語観)
***** (ここまでの読み取りに間違いがあればご指摘ください。)
以下トンチンカンなことを書いていたらすみません。
okutagawa 。o0 言語内の文を分解し組み立てなおすことで、様々な有意味な文(事実に対応するとは限らないが事態には対応する)が得られる。 同時に、様々な可能的な事態が得られる。
言語全体を知らなければ各語の論理形式を確定できないが、言語全体を知る人はいないだろう
私にわかる[語の論理形式]は、私が知っている範囲の言語全体から導かれる。 それが対象の論理形式と一致する。 ↓ 私の論理空間(可能世界の集合)の限界は、私の言語の限界と一致する。
私の論理空間から、実現している私の世界のありようを確定するのが、私の知識だとしたら、 私の知識の限界が、私の世界の限界となるのか。
私の言語が拡張すれば、私の論理空間が拡張する。 私の知識が拡張すれば、私の世界が拡張する(もしくは縮小する)。
また、 『有意味性の最終的な根拠は、実際の私たちの言語使用にあると言われています。』 とどう組み合わせればいいのか。
「私たち」という総体を束ねた視点からの、あるいは私たちに共通する論理空間はあるのか (全ての人の言語使用を総合して、万人共通の(少なくとも同じ社会の成員共通の)論理空間を導くような視点は存在するのか…)
4.11 真なる命題の総体が全自然科学である。 WS-
それは誰から、どこから見てなのか
☆野矢さんの「『論理哲学論考』を読む」を読むことにした。
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