□投稿者/ pipit -(2023/11/29(Wed) 21:47:25)
| パニチェさん、こんばんは! ニーチェの文章の引用をありがとうございます。 パニチェさんの「原因と結果」の記事も読ませていただきました。
>全「内的経験」は、神経中枢の興奮に対して一つの原因が探しもとめられ表象されるということ──また、みいだされた原因がまず意識されるにいたるということにもとづいているが、この原因は本当の原因に対応するということは絶対にない。──それは、以前の「内的経験」を、言いかえれば記憶を根拠とした一つの手探りである。しかるに記憶は、古い解釈の、言いかえれば誤った原因性の習慣をも保存しているのであり、──そのため「内的経験」は、以前につくられた偽りの因果という虚構すべての帰結をもしれ自身のうちにになわざるをえないのである。私たちが瞬間ごとに投影している私たちの「外界」は、根拠についての古い誤謬に解けがたく結びつけられている。それゆえ私たちは「事物」その他の図式でもって外界を解釈するのである。<
ここらへんの文章とか、興味深いです。
私は因果性を思う時、「effect」という単語が頭に浮かぶのですが、 神経中枢の興奮のeffectで原因が表象される、という表現も可能なんだなーと、ニーチェさんの文章を読んで改めて思いました。
レスありがたいです!
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