□投稿者/ pipit -(2023/11/29(Wed) 21:20:01)
| ■No35211に返信(悪魔ちゃんさんの記事) > なんか、場違いなのだけど > > 「原因」と「結果」 > > 「原因」は「結果」の先にあるものじゃない。 > みたいなの、なんか記憶にある。 > > ニーチェだったけ?<
悪魔ちゃん、こんばんは(^O^)
カントの場合は、二つの現象をくっつける際に働いているキーワードが「原因」という概念、と言ってるのかなー、と今のところpipitは思っています。 例えば『水の凍結』って、カント的には「原因」という概念のもと、ある時点で知覚された(水)と、異なる時点で知覚された(氷)をくっつけてる、って感じかなぁって。 この『水の凍結』を例にした「原因」概念について述べてる箇所が、純理のB162と163にあって、過去投稿で、DeepLと pipitが部分的に英訳を日訳してるんだけど、それを複合させてみるね。
以下過去投稿より再編。
※※※※※※※※ (カントの文章の英訳の日訳) 純粋理性批判B162-163 (※DeepL日訳とpipit日訳 私が水の凍結を知覚するとき、私は二つの状態(流動性と固体性)をそのようなものとして理解し、それらは互いに時間の関係の中で対立している。 しかし、私が内的直観としてその現象の根拠とする時間において、私は必然的に多様体の総合的な統一性を想像するのであり、それなしには、その関係は(時間の順序に関して)明確な知覚において与えられることはありえない。 さて、この総合的統一は、 私が直観一般の多様を結合するためのアプリオリな条件であるが、 もし私の内的な直観の常なる形式である時間を捨象するなら、 この総合的統一とは原因のカテゴリーであり、 もし私が原因のカテゴリーを私の感覚に適用するなら、その関係に従って時間一般の中で起こる全てのことを規定する。 その結果、そのような出来事(水の凍結)における把握およびその出来事自体は、その知覚の可能性に関して言えば、原因と結果の関係という概念の下に立つことになる。そのほかの全ての場合についても同様である。 ※※※※※※※※
ニーチェさんのことは、パニチェさんが書いてくださってるね!
私も今から読ませていただきまーす (o^^o)
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