□投稿者/ パニチェ -(2023/11/05(Sun) 10:31:39)
| おはようございます、akaimiさん。レスありがとうございます。
■No34909に返信(akaimiさんの記事)
>>> 「何か」があるからこそ、人間が認識できるのだ、というふうに私はとりあえず考えます。 >>> 「何か」が何かは解りません。 >>> 「何か」をカントは「物自体」としたのかな、と、違うかもしれないけどそんなふうに考えたりもします。 >>> 人間がいない、つまり解釈者がいない宇宙の姿・・これについては知りようはない、ということになってるってことなんだろうな、現在は。
>>同意です。 >>で、上記の延長線上に私的には独我論あるいは独在論が横たわっています。^^ > > 独我論、独在論にも魅力を私は感じますよ! > 私の中での勝手とも言える思いなのですが、ブレない自分軸で強くしなやかに生きていける見方に思えます。
その通りです、鋭いですね。 独在論と個人主義、スッタニパータの「犀の角のようにただ独り歩め」や大般涅槃経の「自洲・法洲(自灯明・法灯明)」、ニーチェの君主道徳は相性がいいです。^^
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