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No34603 の記事


■34603 / )  サールによる「心の哲学」概要(;´・ω・)
□投稿者/ うましか -(2023/10/22(Sun) 18:27:34)
    2023/10/22(Sun) 18:32:56 編集(投稿者)

    ◇ ジョン・R・サール『MiND マインド 心の哲学』

    https://www.asahipress.com/bookdetail_norm/9784255003252/

    ちくま学芸文庫版は↓(・ω・)ノ

    https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480098856/

    *******

    下に引用したサールの「独我論」概説はわかりやすいですね。独我論はサールが「他人の心(「他人にも心があることを人はどうやって知るのだろうか?」という問い)」〔サール,p.35〕を論ずる際のトピックの一つです。

    ちなみに独我論の直前に「類推論法」が出てきますが〔同,p.36〕、サールのいう「自分の心的状態との類推[アナロジー]によって、他人の心的状態を推測できると考え」、「自分と他人とのあいだの隔たりを埋める」という作業こそ、日々私があまり疑いもなく行っていることの正体なのだと、私うましかは感じざるを得ません(;´Д`A ```

    それはさておき、引用。

    >心的状態をもつのは自分だけだという見解は「独我論」と呼ばれる。独我論は少なくとも三つの段階をもつ。一つめはもっとも極端な形式だ。この立場によれば、私こそが世界でただ一人の心的状態をもつ人間であり、実際、私の心的状態のほかに世界にはなにも存在しない。二つめは認識論的独我論である。それによると、他もひょっとしたら心的状態をもっているかもしれないが、それを確かめることはできない。他人もまた心的状態をもつということはいかにもありそうなことだが、私が観察できるのは外部にあらわれるふるまいだけなのだから、それを確認するすべはない。三つめはこうなる。他人も心的状態をもっているが、それが私の心的状態のようなものであるかはわからない。私の知るかぎりにおいて、私にとっての「赤を見ている」という経験は、あなたが「緑を見ている」ときにもつ経験とまさに同じものかもしれない。また、あなたが「赤を見ている」という経験は、私が「緑を見ている」という経験とまさに同じものかもしれない。私たちは同じように色を区別しているのだから、同じ色盲テストをパスしているといえる。赤鉛筆の入った箱から緑鉛筆を拾いだすように言われたら、私たちはともに緑鉛筆を拾いだせる。しかし、色の区別を可能にする内的体験があなたと私で似通っているということを、私はどのようにして知るのだろうか?< 〔サール,p.37〜38〕

    次の段落のサールのコメントは辛辣(;´・ω・)

    >独我論は哲学史においてはまれであり、有名な独我論者というのもいない。これまで、ときに高名な哲学者、あるいはそうでない哲学者たちによって、想像できるかぎりのあらゆる途方もない哲学的立場が提唱されてきたが、私の知るかぎり、歴史上高名な哲学者で独我論者であった者はいない。もちろん、もし誰かが独我論者だったとしても、その人が私たちに向かって「自分は独我論者だ」などと伝えるにもおよばないだろう。というのも、その人の立場からすれば、私たち他人は存在していないのだから。<〔同,p.38〕




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