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アートポットさんへ(;´・ω・)
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□投稿者/ うましか -(2023/09/27(Wed) 21:45:09)
| こんばんはー(・∀・)
No.33505(アートポットさん)
>ジム・キャリー主演の映画「トゥルーマン・ショー」(1998年)。胎児の頃から社会人になってにてにてずっと何十年もドキュメンタリ撮影されていたっていう映画。
この映画、タイトル名くらいしか聞いたことはなくて、もちろん観たことも調べたこともありませんでした。で、とりあえず、あらすじ調べてみた(・ω・)ノ
・https://hm-hm.net/comedy/トゥルーマン・ショー
今回アートポットさんが「トゥルーマン・ショー」と独我論を関係づけていた投稿を見かけたのでネットで検索してみたところ、、、ビックリ!! 両者を関連付けていた記事をいくつ目にすることができました(;´・ω・)
映画そのものを観ていない上に、これを独我論と関係づけて感想をのべることは気が引けますが、、、正直、うましか的には独我論というよりも、いわば「神」のような視点から構成された決定論的な舞台(世界)と、その綻びをきっかけ湧きあがった懐疑を出発点として、そこからの解放(自由)を動機とした意志を有する個人の、此岸から彼岸への跳躍物語と読めました。
もしトゥルーマン・ショーが独我論に引き寄せられるとするならば、懐疑の果てにデカルト先輩みたいにエゴイズムの反転攻勢を仕掛けて「シーヘブン」の支配者となるとか(゚Д゚;)、舞台そのものがトゥルーマンの脳内で演じられているショーだったとする結末に回収するとか(;´・ω・)、そんな感じかな〜的外れかも(;´Д`A ```
でも私としてはやっぱり違和感があります。もしかしたらそれは、私自身がもつ「独我論」というコトバの意味あいに自ら影響されているからかもしれませんね。私にとってsolipsismとは、それを主張するとしてもポジティブな立場とは言えず、それを受ける側だとしても、理論的にも実践的にもegoismとしてネガティブにうつるであろうコトバと言えるでしょう。
少なくとも現時点ではそのようにおもっています(;´・ω・)
(/・ω・)/沼
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