□投稿者/ 時 -(2023/09/21(Thu) 19:53:33)
| みのりさんへ。こんばんは。レスをありがとうございます。
No33293 > 夜食を控えるお話があったのは少し驚きです。 > 托鉢でいただいたものをかつかつにしか食べないのが当たり前のように想像していましたので。 > 涅槃に向けて生活のすべてを整えていく、というのが基本だったのでしょうね。
はい。仏陀は一貫して苦と苦の滅尽を説いていたようですね。ですので、涅槃や解脱に向けての教えとなるのでしょうね。
> そうなんですか。 いやでもやはり、日常の中で苦を減らす意識で過ごすぐらいにしておきます。^^
了解です^^
> なるほどです。体験している最中にはわからないけれど、一瞬、想受滅から有想に戻った時に気づけるということなのですね。
その通りです。
> 現在進行形の想受滅を体験しているその時に気づくというのは不可能なのに、それを求めてしまう、それができるのだと勘違いしてしまったら体得できなくなってしまう、ということですね。
はい。これもその通りです。
> そこまで徹底は無理でしょうけど、世界がどんどん貧しくならざるをえない昨今ですし、そういうシンプルなところに戻るしか、そしてそれを苦しみとは思わず過ごすしかなくなっていきそうですよね。 > なんか皆で修行する世の中がスタンバイしつつあったりして。(;^_^A > 私はけっこうそれは大丈夫かもですよ。 質素、平気です。(笑)
もしかしたら、そのようになるかもですね。。 でも、皆で仏陀の言う修業をしたら、皆が木の下で瞑想にふけるような気が、、食事関係はどうしましょうか?(笑)冗談はさておき、贅沢三昧も良いかもしれませんが、質素も良いですね。^^
> そうなんですね。不苦不楽なら上出来というか良い状態にも思えるけど、解脱して苦の滅尽に至らないと無知はなくならないということなのですね。
はい。通常の感覚では、不苦不楽の境地に至れれば十分だと思います。これは多少の誤解を生む可能性のあることなのですが、不苦不楽について書きましたことは、あくまでも原始仏教という基準の括りの中でのお話なのですね。この中の基準では、不苦不楽ではまだ無知が残っているので、輪廻の終焉はまだ迎えないのですよとなるという事だと理解しています。
> 道聖諦(八支聖道)というのは、八正道でいいですか?
はい。八正道、八支聖道、八聖道等、(多分)同じ事だと思います。
> いえいえ、勉強になり嬉しいです。 > 苦から離れ、とりあえずいつも平穏な精神で過ごせたらいいなぁ、というのは思います。 > 仏教を知り何か立派な人間になろうみたいに思うのは我であり違う話になってしまうと思うのですが、細々と切実に(?)、地道にやっていき、いつも平穏でいられたらというのはほんとに思います。
そうですね。仏教の目的を一つに絞るのであれば、仰るように日々の生活を平穏な精神で過ごせる事でしょう。そして、仏教を知って立派な人になろうというのは、仏教を正しく学べていないように思いますね。仏教を知るならば、立派な人にはなれないことは理解できているはずだと思うのですが。。(笑)
アドヴァイタや自由意志に続いて、今回も対話を楽しめました。ありがとうございました。
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