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No33318 の記事


■33318 / )  Re[14]: knowing itselfさんへ
□投稿者/ knowingitself -(2023/09/21(Thu) 16:17:14)
    パナチェさん レスありがとうございます

    >> ただ、道徳や倫理、定言命令からは、唯一、物自体にいける。これは「実践理性批判」ですね。「仏教3・0」では三人とも第五図で慈悲を強調するのは、カント哲学の仏教バージョンのようなものかと。山下さんはとくに慈悲をメチャクチャ強調します。

    >道徳や倫理、定言命令からは、唯一、物自体にいけるというところを、もう少し詳しく教えて下さい

    前掲書では、228ページの1ページがまるごと全体、そのことの解説になっていますね。

    定言命令に従うというのは、質料的、感性的な素材に一切制約されず、純粋なる善意志の発動として実行されること、少しでも功利的な動機があったらもはや自由意志ではないので、現代人には無理ではないかと思うくらいですね。それでも、そういう道徳律が内なる心に確実にあること自体が、その回路だけが、叡智界という物自体に帰属しうることを示しているんだと。間違っているかもしれませんが、わたしの大雑把に理解しているところではこんな感じです。

    このように理解するなら、第五図では坐っている人の意志が本質的になると思います。内容的に同じ第四図が坐っている人のアタマに乗っかってるだけですね。その意志とは?主体的に坐禅するという意志か。これは禅宗からは普通にある解釈ですね。この意志を坐禅する意志ではなく、仏教的な慈悲に置き換えるのが山下さんでしょうか。

    以上は第四図や第五図をカント哲学的に捉えた場合ですが、もちろん永井哲学がそうだというわけではないのは当然ですね。
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