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No32971 の記事


■32971 / )  時さんへ
□投稿者/ みのり -(2023/09/10(Sun) 14:32:14)
    時さん、こんにちは。
    レスありがとうございます。

    > ルパートスパイラ氏の短いYouTubeを1本だけですが、拝見しました。なるほど、現代版のアドヴァイタと仰っているのが分かりますね。^^

    ご覧になられたのですね。^^

    > 今も考えてみれば脳も含めた物質というものは、究極素粒子の集まりですものね。(笑)そのいわば細かいドット絵を見たという意識、触ったという感触等、全ての認知できることはクオリアであり、クオリアは在るといえばあるし、ないと言えばないですしね。そしてある人が感じ取った赤というクオリアは、他の人と同じ赤のクオリアだとは断言できそうにありませんね。

    物質、素粒子という言葉も人間間での決め事なのですが、人間には感知できない音域や光なども含めると一体、世界や宇宙の本当の姿はどういうものなのだろう、と考えてしまいます。
    なにやらモヤモヤとしたエネルギーのようなものが形という形もなくうごめいているのかなぁ(カントの物自体の私のイメージです)、それを人間が感知すると個別の物や動物、人間としてあるように見える、といったように。
    などと考えています。
    それにしたって、じゃあ、そのモヤモヤしたエネルギーのようなものはそもそもなぜあるのか?まで考えるともう人間には解りません。
    西洋哲学的にいうと第一原因といったらいいのか、それは人間にはけして知りえないですものね。

    それぞれの人が感知する例えば、その瞬間の海の色や質感の違いも、ものすごい膨大な縁がそこに集積されてその人にはそのように感知されていて、同一人物であろうともまったく同じクオリアとして感知することは無いぐらいなのかもしれないと思ったりします。
    ですから他人であるなら尚更です。

    > 途中の御説明の中にある、
    >
    >>哲学的には、「気づいている何か」は自分の中にあるのではなく、時空間を超えたものとしてある、という説明になるのだと思います。
    >
    > また原始でのお話になりますが、仏陀が説いたとされる瞑想の境地は、九次第定(初禅・二禅・三禅・四禅・空無辺処・識無辺処・無所有処・非想非非想処・想受滅)と表現するのですが、この中の「空無辺処」が時空の事で、この処を超えると次の「識無辺処」という無限の識の領域という瞑想の境地に至るのですね。つまりは、ご説明の中の「時空間を超えたものが、気づいている何か」・・気づいている何かとは、九次第定で言う空無辺処を超えた識無辺処=無限の識の領域が、純粋意識だと言う事で理解すると、納得できそうですね。

    そうなのですか。
    難しいです。。

    ところで、時さんは瞑想をされるのですか?

    > ご回答をありがとうございました。

    どういたしまして、拙い説明でした。
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