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No32879 の記事


■32879 / )  よっちゃんとおままごと
□投稿者/ 時 -(2023/09/05(Tue) 21:45:00)
    例えば、幼稚園の砂場で、園児2人が場所の取り合いで争っていたとします。「ここは俺が最初に来たんだからお前は向こうへ行けー」「何よ!ここは昨日からよっちゃんと一緒に、おままごとをしていたんだからねー」と、多分2人の園児は真剣です。でもこの様子を大人が見ていた時には、怪我をしないように見守りつつ、声掛けをするとしたら「喧嘩しないで、仲良くねー」位でしょうか。

    ここで3つの発言があります。@「ここは俺が最初に来たんだからお前は向こうへ行けー」A「何よ!ここは昨日からよっちゃんと一緒に、おままごとをしていたんだからねー」B「喧嘩しないで、仲良くねー」の3つですが、これら全てが、二元の世界での表現になりますが、最後の一つだけは、同じ二元の世界での表現でも最初の2つとは違った次元になるでしょ?子供の視点ではない、大人の視点での物事の見方です。

    誤解を恐れずに表現するのであれば、私の理解では、通常のこの世は@とAの相対世界の二元の世界観です。しかしこの世の中には、二元の世界観の人ばかりではなく、たまに一元の世界観の人がいるのですね。東洋哲学の世界では、その境地を不二一元と表現しているようです。これは、@とAが争っていても、Bのように決して自らその争いに加わることはなく、その争いに対しても問題のない世界観の住人と言えるでしょうか。そして仮に巻き込まれたとしても、争わずにそれらを受け入れます。

    ですので、この世界での表現としては全て共通の言葉を使うのですが、不二一元の世界観の人の使う表現が、通常は二元の世界観の人には理解しにくくなると思います。丁度これは、大人の表現することが子供達には理解しにくいようにです。「俺の砂場だ」「私がおままごとを」と争っている園児に対して「仲良くね」をその意味合いとして理解しにくいのと同じ事だろうと思います。

    例えば「あなたはどこから来たのですか?」という問いに対して通常の二元の世界観の人同士であれば「札幌から、大阪から、久留米から来ましたー」で会話は成立しますが、一元の世界観のみの人ならば「私は、常にここにいます」といった具合になりそうです。それは、例え場所的に大阪や東京から現地に来ていようとです。

    変わったところでは「私は、あなたです」「一にして多」「生きながらにして死んでいます」等々、多くの表現を見かけたことがありますが、これらは全て不二一元の世界観での表現ですね。有名な人物でもこの境地なんだろうなぁと思われる方が、哲学者でも少なからずおられるように思います。

    そして、この不二一元よりも高い境地が不一不二の境地になります。この境地では、ほぼ二元の世界観の人との会話は成立しないでしょう。「ここにリンゴがありますね?」という問いかけに「それはあるのではなく、無いのでもない」「・・・」「では、何があるのですか?」という再度の問いには「何かがあるのではなく、ないのでもないのです。分かりませんか?」「・・・」となるでしょうか。取り合えずこういった方にであったのであれば、通常は、スルーがおすすめでしょう。(笑)延々問答をやっても、多分、二元の世界観の人が求める答えは得られません。しかしこの境地が、有の世界での最高の境地とされる有頂天という境地のようなのですね(笑)別呼称で、非想非非想処の境地です。龍樹の中論が難解だといわれるのは、このためだと思います。

    梵我一如は省きましたが、不二一元と不一不二の違いの私見での説明になりました。

    ご返信は、不要です。^^
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