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No32847 の記事


■32847 / )  ザビビのふくろうさんへ
□投稿者/ 時 -(2023/09/03(Sun) 16:22:20)
    2023/09/03(Sun) 16:30:28 編集(投稿者)

    ザビビのふくろうさんへ。こんにちは。レスをありがとうございます。

    No32841
    > ちなみに時さんの公園でのボールのエピソードについては、私は次のように考えます。

    > 自分が無意識に(即自的に)行った意志行為(払った)を、後になって、自分が意識化(対自化)し主観記述した、というだけの話で、ここには錯覚も幻想も創作もなく、事実だけがあると思います。

    なるほど。ザビビのふくろうさんのご認識は、了解しました。^^

    繰り返しになるかとは思いますが、ここで疑問符が付くのは「自分が無意識に(即自的に)行った意志行為(払った)」というところですね。自分が?無意識に?行った?→意志行為??のところです。無意識の行為が意志の行為で?しかもそれが我が主体なのか?という所に独りで拘っていました(笑)現在の私の答えは、強いて表現するのであればですが、そこに「私」は存在しないというものですね。

    ですので、事実を客観記述するならば「ボールが払いのけられた」だけですね。(笑)そこには払いのけたはずの主体である我は存在しえません。なぜならば、無意識下での出来事だからです。

    まぁ、ここは見解の相違という事で^^

    > 創作・幻想なのは、その端的な事実を、デカルト的二元論のドグマを前提にして、意識(心的主体)である自分が自分の意志で、単なる物にすぎない身体をコントロールし(ボールをはらうという)動作をさせた、と考える哲学的解釈の方です。

    > ついでに言っておくと、
    > 前野さんは自分の立場を一元論と言ってるようですが、受動意識仮説は、明らかにデカルト的二元論のバリエーションです。

    > と私は思います(笑)

    了解しました^^

    > あとですね、哲学的には、意志による身体のコントロールを幻想とすれば、倫理的責任というものも幻想なのか?という問題が直ちに立ち上がるので、この問題も引き受ける必要が出てきます。
    > 私の場合は当然これも、間違った前提に基づく疑似問題に過ぎないと思いますが。
    > まあ、こちらの問題を時さんが気にされるかどうかはわかりませんけどね。

    はい。そうですね。

    こちらも学問的な哲学ではなく、ましてや各専門分野での正確なデータも持ち合わせていない、他を納得させられるだけのエビデンスのない、時の人生哲学=妄想哲学での自らへの理解、納得のさせ方ですが、仮にこれを今だけ、遺伝子と環境、意識妄想説と名付けてみましょう(笑)

    遺伝子と環境、意識妄想説とは、この世における動植物は、その遺伝子が周りの環境に単に反応しているだけであるという仮説です。そしてその遺伝子の中には、特に大きな脳を持つといわれるもの特有の意識を生み出すものもあります。(笑)

    人間は動物であるので、これは他の動植物と同じく、あるとき地球上で自然発生的に生じました。つまりは、人間は自然から生まれました。

    自然とは考えると不思議なもので、犬には犬のヒマワリにはヒマワリの、そして人間には人間の遺伝子が別々のものになりました。ですから、それぞれの遺伝子の設計通りの見た目や行いがその環境に合わせて自然に起こり続けます。

    そこで自然発生的に生じた遺伝子の中で、脳の大きな動物には、意識が生じるものも組み込まれていました。これは勿論、人間で言うところの「私の」という思いを生じさせる大元の意識と言われるものです。

    実際には、各遺伝子が環境に反応して(動いて)いるだけの昆虫や花等の草木、ミミズや人間の中で、自然から大きな脳を作り出す遺伝子を与えられた人間には、特に「私の」という意識(思い)が発達して、やがてはそれは、実際には単に自然から発生して周りの環境に反応しているだけのことなのに、私が行ったとか、私は〜ができるとか、私の努力が足りないとか・・と言う主体性という幻想を、あたかもそれが当然の事実かの様に錯覚しだしました。

    努力すれば、成功しますかね?成功しないのは、努力が足りないからですかね?
    頑張れば大リーグで活躍できますかね?何かの発想には、1%のひらめきが必要ではないのですかね?では、そのひらめき自体は、何を起因とするのですかね?そしてもしもそのひらめきが起こったとしても、それが成功するかなんてことは別問題ですね。では、そのひらめきがなく、単に努力だけで上手く事が進むでしょうか?なんて事を過去に”私は”考えていました。(笑)

    ここで通常の思考世界に戻して考えてみると、例えば何かの犯罪が起こったとします。倫理的責任も問われますね。自らの意思で起こしてしまった泥棒という犯罪で、警察官により逮捕されるでしょう。そこでいくらその泥棒が「私は存在しない!自由意志は幻想なんだ!いやいや、意志そのものが幻想だ!なぜならば私が盗もうとした0.4秒前には私の意志とは別に行動が開始されていたのだから!」なんて言っても警官に「はいはい。」で連行されるでしょう(笑)

    でも仮に意識の一切が幻想ならばと考えてみると、そこで起こったことを記述すると「泥棒をして捕まった」だけです。もう少し言えば「捕獲したら、捕獲された」そして「環境に対して反応が起こったら、その環境に対して反応が起こった」と言うだけです。(笑)

    A(泥棒)の遺伝子がその環境に反応して行為が起こった。それは盗みという行為だった。・・B(警官)の遺伝子がその環境に反応して行為が起こった。それは捕まえるという行為だった。と言うだけです。(笑)この世界観では、責任感や罪悪感、倫理観や正義や悪等はありません。だから楽になるのですね。(笑)やりたい放題の世界観です。ですが、やりたい放題といっても犯罪率等は今と同じになるでしょう。なぜならば、今言う泥棒や犯罪や逮捕や正義感や倫理観は、意識の中での出来事の分別表現だからです。ですので犯罪率等は、何も変わりません。変わるとすれば、気持ちが楽になるだけです。

    この仮説では、実際に起こっているのは、各人の各遺伝子がその各環境に応じて各反応(捕獲、捕獲)が起こるだけですが、倫理観だ正義だ悪だという認識機能、分別判断というものを生み出す意識の部分が、人間の遺伝子に組み込まれているのではないか?というものです。

    犯罪を犯してしまう警察官、定年間近で痴漢で捕まる大企業の役員、冤罪を生み出してしまう裁判官、そのそもそものシステム。文化財に落書きをする中学生。神を信じて拝み倒す人々。他でこれらの説明がつくでしょうか。倫理観の欠如?常識の欠如?倫理観の欠如した人に、倫理観を持たせる方法はないでしょう。まぁ、いいのですが。(笑)

    賛同を得られるかどうかは別にして、全てが、各遺伝子が周りの環境に反応しているだけだと考えると説明がつきそうです。恐らくは意識がないであろうカニや杉の木が、なぜ栄養を吸収して成長して、卵を産んだり木の実を落としたりして、やがてはそれぞれの死を迎えるのか?人間も同じでしょう。そこに意識というものがあるのかどうかの違いだけで(笑)

    人はなぜ人を殺してはいけないのか?という問いには、各人様々な思いが沸き起こるでしょう。しかし、その答えがどのようなものであれ、殺人を犯してしまう遺伝子の所有者は期せずして殺人を犯してしまい、その遺伝子がない人には、殺人は犯かせません。ただし、その遺伝子は現在の所、判別はできないのではないでしょうか。仮に遺伝子研究の学者が、その環境下でその遺伝子を発見したと思っても、それもその学者の意識のなかのできごとですので、実際には、どうにもなりません。つまりは、今まで通り、起こることは起こるべき時に起こるだけです。起こらないことは決して起こらないでしょう。なぜならば、殺人犯の遺伝子は、その殺人犯自らが持とうと思って持ったものではないからです。それはその環境条件がそろえば、突如としてその環境に反応するという事です。

    自分の寿命を少しでも延ばす事ができないのに、なぜ他の事を思いわずらうのですか?(イエス)

    それが、各人の自覚なき運命だと思います。

    > この自由意志の問題は、正真正銘の哲学的問題です。
    > 哲学的問題は、疑似問題であろうがなかろうが、自分が納得行くまで考えないと仕方ないですしね。頑張ってください。

    はい。ありがとうございます。一応は、上記で納得しています。^^

    > いつものようにエラそうにいろいろ述べましたが、言うまでもなく私見に過ぎません。
    > だけど私の方は、おかげで、あれっ?案外私の考え、行けるんじゃないの?って気がしてきました(笑)
    > ありがとうございましたm(_ _)m

    毎回、ザビビのふくろうさんにお話しいただくと、新たな知識や視点が獲得できますので、刺激的ですー。^^

    こちらこそ、ありがとうございました。m(__)m

    パニチェさんへ

    ディオニュソスホールという事で、ご容赦を^^
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