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Re[5]: 純粋理性批判B162
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□投稿者/ pipit -(2023/09/03(Sun) 15:28:22)
| ■No32845 (英訳のpipit日訳) こうして、経験的な「把握(覚知)の総合」が、知的な、そしてアプリオリにカテゴリーに完全に含まれている「統覚(自己統合の意識)の総合」に必然的に対応(correspond)しなくてはならないことが証明される。 それ(総合)は一つの同じ自発性であり、ここでは想像力(構想力)の名の下に、そこでは知性の名の下に、直観の多様を結合へともたらす。
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(pipit感想) 証明される、と言われると私には強引に思えてしまうけど、、、
とりあえず、想像してみるに、、、
人間の想像力(構想力)で、感じた素材(まだ意味を持たされていない色や音や感触などの素材)を「対象物」としてまとめ上げるのが、「把握の総合」だとすると、、、
その総合は、人間の自発性であり、カントにとっては自発性は知性の働きの特徴であり、、、
知性は思考の能力とすると、思考の規則は、カテゴリーであるので、
感じたものを対象にする想像力も、働く上では、思考の規則であるカテゴリーに合致して仕事するしかなく、
結果的に、把握の総合は、カテゴリーに従う、、、ということは、感性で得た素材も、人間の認識になる時は、時間空間でさえもカテゴリーに従ったものとして直観されるに至る、、、かなぁ。
また先を読んでみます _(:3 」∠)_
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