□投稿者/ pipit -(2023/09/02(Sat) 23:03:19)
| みなさまこんばんは。カントの原文をDeepLに英訳してもらったものを、pipitが日訳で読んでみます。 が、投稿が、アクセス禁止になるので英訳文を略します。(後で英訳文だけで投稿してみます。)
(英訳のpipit日訳) 例えば、私が家の経験的な直観を、直観に含まれる多様を把握(覚知)することによって知覚化するのであれば、 私の知覚の土台として、空間と外的な感覚的直観一般の必然的統一があり、 私はその形を、空間の多様の総合的統一に従って描くのである。 しかしながら、まさに同じ総合的統一を、 もし、私が空間の形式から抽象し、 知性にその座を持つなら、 一般的直観においての、似たものの総合としてのカテゴリーであり、 すなわち、大きさのカテゴリーであり、 それゆえに、把握(覚知)の総合、つまり知覚は、絶対にこれに対応しなければならない。
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(pipit感想) 量(Quantity)のカテゴリーは、 Unity Plurality Totality で、 似たものの総合、って、Unity(単位)の Plurality(複数・積み重ね)の Totality(全体性)で、空間における広がり(外延量)として把握する、ってことかなぁ。 (※全然違うかもだけど、西研先生の100分de名著のテキストp58-61を参考にしました。)
純粋悟性概念を直観(認識対象としては多様としか言いようのない段階の素材)に適用することで、対象としての知覚を可能にしている、みたいな???
全然違うかもだけど先に進んでみますー 。゚(゚´ω`゚)゚。
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