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No32273 の記事


■32273 / )  時さんへ2>善悪の彼岸
□投稿者/ パニチェ -(2023/08/05(Sat) 09:47:53)
    2023/08/05(Sat) 13:21:54 編集(投稿者)

    「善悪の彼岸」には二つの意味があります。
    ひとつは言葉としての意味、もうひとつはツァラトゥストラに続いて出版された書籍としての「善悪の彼岸」です。

    最初に言葉としての意味を書いてみます。
    結論から言えば「善悪の彼岸」とはユダヤ・イスラム・キリスト教的道徳(以降はキリスト教道徳と省略します)を超克した超人が立脚する大地(天を重んじたドグマに対するアンチテーゼで人間が立脚する大地)のことです。

    此岸とはキリスト教道徳であり善悪二元論的な倫理観です。
    ニーチェによればキリスト教道徳は奴隷として生まれついた不幸な民族、ユダヤ人のルサンチマン(弱者が強者に抱く怨恨感情と訳されますが、現代風に言えばコンプレックスから生じる反動みたいなものです)によって生み出された奴隷道徳であると断罪します。

    人間によって支配・拘束された自分たちは本来は神に選ばれし民(選民思想)であり、自分たちを支配するのは唯一無二の絶対神であるヤハウェ(ヘブライ語でありアラビア語ではアラー)である。
    神からトップダウン的に与えられた道徳観こそ絶対であり、これによれば原罪を背負う生は罪深いものであり、死後に訪れる神による最後の審判によって神の国へ召されることを生の目的や意義とする。
    生よりも最後の審判が重要視され、欲望は罪深いものであり(禁欲主義の推奨)、隣人愛が説かれる。

    これらは本来無垢でありダイナミックであるべき人間の生を委縮させ、言語を有して生まれ、あらゆるものに意味や価値を付与しうる特権的動物である人間を均一化(弱体化)させ家畜の如く飼いならす畜群的道徳(上から与えられる奴隷道徳)であって、福音どころか禍因の元凶とニーチェは看破します。

    この彼岸にあるのが君主道徳です。
    君主とは高貴な精神の象徴的表現であり、誰に強要されたり与えられるような倫理観ではなく、自らの意志で自らを律する道徳です。
    君主道徳が具体的にどのようなものかは最終的には読者に委ねられており、少なくとも此岸的な奴隷道徳のアンチテーゼである方向性が示されているのみです。
    私個人的には武士道とか自洲・法洲(自灯明・法灯明)に相通じるものとしてのイメージを抱いてます。


    次に書籍としての「善悪の彼岸」ですが、この書籍はあまりに不評というか無視され続けた「ツァラトゥストラ」の補足として書かれた部分もあり、キリスト教道徳を超克した高貴さとは何かについて書かれた書籍です。この書籍の解説をニーチェ自身が「この人を見よ」で解説していますので、以下に引用しておきます。

    『この本(1886年)はすべての本質的な点において近代性の批判である。近代科学、近代芸術、いや近代政治さえも除外されていない。と同時にこの本は、可能なかぎり最も近代的ならざる一つの反対典型、高貴な、然りを言う典型を示唆しようとするものである。この後者の意味においてはこの本は一つの貴公子の学校である。ただし、この貴公子という概念を史上最高に精神的かつラディカルに解していただきたい。この概念に耐えるだけのためにも身によほどの勇気がいる。恐れるなどということを習い知ったらもうだめだ…時代が誇りとしているすべてのものが、この典型に対する矛盾と感じられ、無作法とさえ思われる。たとえばあの有名な「客観性」がそうだ。「すべての悩める者への同情」などというのもそうだし、他人の趣味への屈従、瑣末事』への平伏がつきものであるあの「歴史的感覚」とか、例の「科学性」などもそうだ。(ニーチェ著「この人を見よ」よりの引用)』


    PS.時さんのお陰で久々にPanietzsche Roomの第4章インモラリストにこの返信を追加できました。

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