□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/07/20(Thu) 20:16:48)
| ねえ、pipitさまって、「理性」に憧れてるの? ふとわたし感じたんだけど。
最初に訂正しとくね。 >「理性的に、感性は、時間・空間によって、働いていなければならない」< を、 「理性的に、感性は、時間・空間によって、働いているはずだ」 に。
>「理念」の矢印が、どうして「経験」に向かってるの??超越論的 が 経験を成り立たせてる という願望を表す矢印?< うん、そう。カントが批判していたのはそこじゃないかな?、って。
>「直観」を悟性に従属させたみたいな?< ううん、従属させた、っていうんじゃなくて、滑り込ませなくちゃならなかった、みたいな〜?そいうじゃないと、カントの、理論的に成立しなくなっちゃうことを彼はわかってるから。
>もしこうだと、カントの説は大分、感性無視気味の頭でっかちな雰囲気にみえるね< ん〜ん、カントはそういうんじゃないと思うよ、わたし。
カントが生きた時代、小牧さんの「カント」っていう本からしかわたし知らないからないし、それが本当のことかも判断できないけど、
『純粋理性批判』の『批判』を「鵜呑みにせずよく吟味すること」ってしたとき、 純粋に(これまで言われてきた)理性と呼んでいるものを鵜呑みにせずよく吟味すること、をカントはしたんじゃないかしら?
『純理』って、「理性」そのものについて考えることから始めたんでしょ?
あ、ごめんね、これ、わたしの想像的思いつきで書いてるだけだから、この続きは気が向いたらいつか「つれづれ」で。
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