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No30542,30550,30874,30943 の記事


■30542 / )   超越論的分析論X−1
□投稿者/ うましか -(2023/05/03(Wed) 22:35:54)
    2023/05/03(Wed) 22:40:16 編集(投稿者)

    pipitさん、こんばんはー(・∀・)

    No.30539(pipitさん)

    >私もついついカント先輩沼から遠のいちゃうのですが(だって沼だもの!!)、でもやっぱり、超越論的演繹論も理解したいし、図式論も理解したい。。。なら、、、
    >がんばるしかないかー( ;∀;)

    (´;ω;`)ウッ… m(__)m 
    がんばるしかないか−( ;∀;)

    >「物体」ー(金属)ー対象

    概念:「物体」 ← 表象:「金属」 ← ●(対象)  (;´・ω・)?
      

    *******

    T 超越論的原理論
    第二部門 超越論的論理学
    第一部 超越論的分析論〔DIE TRANSZENDENTALE ANALYTIK〕
    第一篇 概念の分析論
    〔略〕

    第一章 全ての純粋悟性概念を発見する手引きについて〔Von dem Leitfaden der Entdeckung aller reinen Versatandesbegriffe〕
    〔略〕

    □全ての純粋悟性概念を発見する超越論的な手引き
    第一節 論理的な悟性使用一般について〔Von dem Logischen Verstandesgebrauche ueberhaupt〕

    ◆ 先に、悟性は一つの非感性的な認識能力として単に消極的に説明された。
    ところで私たちは、感性に依存せずにはいかなる直観〔Anschauung〕にも与ることはできない。従って、悟性は直観の能力ではない。
    しかし、直観の他には概念による認識以外のいかなる認識様式もない。従って、あらゆる悟性の認識は、少なくとも人間の悟性の認識は、概念による認識なのであり、直覚的〔intuitiv〕ではなく、思弁的〔diskursiv〕なのである。
    全ての直観は感性的なものとして触発に基づいており、〔これに対して、悟性による〕概念は機能に基づいている。しかし、私の理解する機能とは、様々な諸表象を一つの共通の表象の下に秩序付けるような働きという統一〔die Einheit der Handlung〕のことに他ならない。従って、概念は思考の自発性に根拠付けられており、それは、感性的な直観が印象の受容性に根拠付けられているのと同様である。
    ところで、こうした諸概念を、悟性は、それがそれら諸概念によって判断する以外には使用することはできない。ただ、直観以外のいかなる表象も直接的にその対象と関わることがないから、概念が直接的に連関付けられるのは、対象とではなく、対象についての何らかの他の表象(その表象が直観であるせよ、それ自身が既に概念であるにせよ)とである。
    それ故、判断は、対象の間接的な認識、従って対象の表象の表象である。
    あらゆる判断の内には多くの諸概念に妥当する一つの概念があり、この概念はそれら多くの諸概念の内に一つの与えられた表象をも含んでおり、そこでこの表象がその対象と直接的に連関付けられる。
    それで、例えば、全ての物体は分割され得る≠ニいう判断においては、「分割され得る」という概念は様々な他の概念と連関し、しかも、これらの諸概念の内でこの「分割され得る」という概念は、この場合は特に「物体」という概念と連関付けられているが、この「物体」という概念は、私たちに現われる或る種の諸現象と連関付けられている。それ故、これらの諸対象は「分割され得る」という概念によって間接的に表象される。
    従って、全ての判断は、私たちの諸表象の間を統一する機能〔Fanktionen der Einheit〕であって、つまりそこでは、直接的な表象の代わりに、この直接的な表象及び若干の諸表象をそれ自身のうちに含む一つの高次の表象が、その対象を認識するために使用され、多くの可能な認識が、このことによって一つの認識においてまとめあげられるのである。
    しかし私たちは、悟性の全ての働きを判断に還元することができ、従って悟性≠ヘ総じて判断する能力≠ニして考えられ得る。なぜなら、悟性は、前述の通り、思考する能力だからである。
    思考は概念による認識である。しかし概念は、可能的な判断の述語として、まだ°K定されていない対象についての何らかの表象と連関する。
    そこで〔例えば〕「物体」という概念は、この概念によって認識され得る或るもの、例えば「金属」を意味する。それ故「物体」という概念は、この概念を元に他の諸表象を含んでいて、それらの諸表象を介してこの概念が諸対象と連関し得ることによってのみ概念となるのである。
    それ故「物体」という概念は、可能的な判断、例えば「あらゆる金属は物体である」という判断のための述語である。従って悟性の機能は、判断における統一の機能が完璧に示されることができるならば、ことごとく見いだされ得るのである。このことが遺憾なく成就されるということは次節が明示するであろう。

    --- No.30139,30154,30529 からの続き ---

    □全ての純粋悟性概念を発見する超越論的な手引き
    第二節 第九項〔*1〕 判断における悟性の論理的機能について〔§9 Von der logischen Funktion des Verstandes in Urteilen〕

    *1 第二版(B版)。中山元訳2,p.244訳注によれば、この第九項は、第一部門 超越論的感性論の最終、第二節 第八項の「つづきのようである」とのこと。

    ◇ もし私たちが判断一般の全ての内容を捨象し、判断における単なる悟性の形式だけに注目するならば、私たちは判断における思考の機能が四つのタイトル〔Titel〕に分けられることができ、それぞれのタイトルが三つの契機〔Momente〕を自身の下に含んでいることを見出すだろう。

    ◇ それは次の表で適切に示されることができる。

    1 判断の量=kQuantitaet der Urteile.〕
    ・全称判断 〔Allgemeine〕
    ・特称判断 〔Besondere〕
    ・単称判断 〔Einzelne〕

    2 〔判断の〕質=kQualitaet.〕
    ・肯定判断 〔Bejahende〕
    ・否定判断 〔Verneinende〕
    ・無限判断 〔Unendliche〕

    3 〔判断の〕関係=kRelation.〕
    ・定言判断 〔Kategorische〕*2 断言判断(中山元訳)
    ・仮言判断 〔Hypothetische〕
    ・選言判断 〔Disjunktive〕

    4 〔判断の〕様相=kModalitaet.〕
    ・蓋然的判断〔Problematische〕*3 可能判断(中山元訳)
    ・実然的判断〔Assertorische〕*4 現実判断(中山元訳)
    ・確然的判断〔Apodiktische〕*5 必然判断(中山元訳)

    ◇ この区分は、たとえ本質的な点ではないとしても、いくつかの点で、論理学者たちの慣れ親しんだ手法とは違っているように見えるから、心配されるような誤解を防ぐために以下のような注意をしておくのも無用ではないだろう。


    † 原佑訳上巻、p.212〜p.213参照。
    † その他に、中山元訳2、p.53〜p.55、石川文康訳上巻、p.127〜p.128を参照。
    †≠ナ囲まれた言葉は、カントが『純粋理性批判』文中で強調したものです。
    † 翻訳はしますが、◇〜は私が便宜上用いた区分けであり文章は原文・訳文の通りではありません。
    † 文中〔〕内は私による挿入、*1、*2〜や、※1、※2〜は私の覚書とします。これらは後に訂正、削除、修正等することがあります。
    † ◆〜は原典における段落とします。

    *******

    X−1 No.30542
    W−1 No.30139、W−2 No.30154、W−3 No.30529
    V−1 No.29992、V−2 No.30063
    U−1 No.29963
    T−1 No.29833、T−2 No.29850

    *******

    第一部 No.29833,29850
    第一篇 No.29963
    第一章 No.29992,30063
    第一節 No.30139,30154,30529
    第二節 No.30542

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■30550 / )  超越論的分析論X−2
□投稿者/ うましか -(2023/05/04(Thu) 23:12:53)
    2023/05/05(Fri) 21:59:58 編集(投稿者)

    pipitさん、こんばんはー(;´・ω・)

    No.30543 (pipitさん)

    >「物体」←「金属」←「直観」←●(対象)

    なるほど〜(*‘∀‘)

    うましかも、なんとな〜く、ここでは悟性ライン?の話しなんだけど、感性ライン?も入れておきたいなあとおもっていました!m(__)m

    >『全称判断』とは、人間がその事象を全称と判断したことであり、この判断に使われている概念は、、、例えば「Unity」、、、かな?「Unity」という概念による認識が、全称判断と呼ばれる判断になるのかな、と、考えました。

    うーむ(゚Д゚;)沼 
    これ気になるけど、なんだかモヤモヤします(;゚Д゚)

    *******

    T 超越論的原理論
    第二部門 超越論的論理学
    第一部 超越論的分析論〔DIE TRANSZENDENTALE ANALYTIK〕
    第一篇 概念の分析論
    〔略〕

    第一章 全ての純粋悟性概念を発見する手引きについて〔Von dem Leitfaden der Entdeckung aller reinen Versatandesbegriffe〕
    〔略〕

    □全ての純粋悟性概念を発見する超越論的な手引き
    第二節 (第九項) 判断における悟性の論理的機能について〔§9 Von der logischen Funktion des Verstandes in Urteilen〕

    ◆ もし私たちが判断一般の全ての内容を捨象し、判断における単なる悟性の形式だけに注目するならば、私たちは判断における思考の機能が四つのタイトル〔Titel〕に分けられることができ、それぞれのタイトルが三つの契機〔Momente〕を自身の下に含んでいることを見出すだろう。それは次の表で適切に示されることができる。

    1 判断の量=kQuantitaet der Urteile.〕
    ・全称判断 〔Allgemeine〕 〔すべてのAはBである〕 *1
    ・特称判断 〔Besondere〕 〔あるAはBである〕
    ・単称判断 〔Einzelne〕  〔ある一つのAはBである〕

    2 〔判断の〕質=kQualitaet.〕
    ・肯定判断 〔Bejahende〕 〔AはBである〕
    ・否定判断 〔Verneinende〕 〔AはBでない〕
    ・無限判断 〔Unendliche〕 〔Aは非Bである〕

    3 〔判断の〕関係=kRelation.〕
    ・定言判断 〔Kategorische〕 〔AはBである〕
    ・仮言判断 〔Hypothetische〕 〔もしAがBなら、CはDである〕
    ・選言判断 〔Disjunktive〕 〔Aは、BであるかCであるかDであるかのいずれかである〕

    4 〔判断の〕様相=kModalitaet.〕
    ・蓋然的判断〔Problematische〕 〔AはBかもしれない〕
    ・実然的判断〔Assertorische〕 〔AはBである〕
    ・確然的判断〔Apodiktische〕 〔AはBでなくてはならない〕

    *1 〔〕内の文は、御子柴善之『カント 純粋理性批判』, p.126〜p.128の解説を参照。

    ◆ この区分は、たとえ本質的な点ではないとしても、いくつかの点で、論理学者たちの慣れ親しんだ手法とは違っているように見えるから、心配されるような誤解を防ぐために以下のような注意をしておくのも無用ではないだろう。

    --- No.30542 からの続き ---

    ◇ 1 論理学者たちが、「理性推論*1〔Vernunftschluessen〕において判断する際、単称判断〔einzelnen Urteile〕は全称判断〔allegemeinen〕と同じものとして取り扱われる」と言うのは正当である。というのも、単称判断は全く外延をもっていないというまさにこの理由で、単称判断の述語が主語の概念の下に含まれているものの幾つかとだけ連関し、他の幾つかからは排除されるということはあり得ないからである。

    *1 三段論法

    ◇ それ故、その〔単称判断の〕述語は主語の概念に例外なく妥当するが、それは、あたかもこの〔単称判断の〕主語の概念が一つの外延をもつ全称的な〔gemeingueltiger〕概念であって、この外延の全ての意味〔ganzer Bedeutung〕にその述語が妥当するかのようである。

    ◇ これに対して、私たちが単称判断を単に認識として、その量〔Groesse〕からみて全称判断〔gemeingueltigen*2〕と比較するならば、単称判断の全称判断に対する関係は、単一性〔Einheit〕の無限性〔Unendlichekeit〕に対する関係と同様である。それ故、単称判断はそれ自体としては全称判断から本質的に区別されている。

    *2 「全称(判断)」と訳される原語は、gemeingueltigen (Urteil)。英訳では、例えば、”generally valid (judgement)”と訳される。

    ◇ それ故、私が単称判断(judicium singulare)を、単にその内的な妥当性〔innnern Gueltigkeit〕にしたがってのみならず、認識一般として、それが他の諸認識との比較においてもっている量にしたがって評価するならば、単称判断はもちろん全称判断〔gemeingueltigen Urteil〕(judicia communia )から区別されている。

    ◇ だから〔単称判断は、〕思考一般の諸契機を示す完璧な表においては、(たとえ単に判断の使用相互の関係にのみ制限される論理学においてはそうでないことは言うまでもないとしても、)一つの特別な位置を占めるに値するのである。


    † 原佑訳上巻、p.213〜p.214参照。
    † その他に、中山元訳2、p.55〜p.56、石川文康訳上巻、p.128を参照。
    †≠ナ囲まれた言葉は、カントが『純粋理性批判』文中で強調したものです。
    † 翻訳はしますが、◇〜は私が便宜上用いた区分けであり文章は原文・訳文の通りではありません。
    † 文中〔〕内は私による挿入、*1、*2〜や、※1、※2〜は私の覚書とします。これらは後に訂正、削除、修正等することがあります。
    † ◆〜は原典における段落とします。

    *******

    X−1 No.30542、X−2 No.30550
    W−1 No.30139、W−2 No.30154、W−3 No.30529
    V−1 No.29992、V−2 No.30063
    U−1 No.29963
    T−1 No.29833、T−2 No.29850

    *******

    第一部 No.29833,29850
    第一篇 No.29963
    第一章 No.29992,30063
    第一節 No.30139,30154,30529
    第二節 No.30542,30550

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■30874 / )  超越論的分析論X−3
□投稿者/ うましか -(2023/05/29(Mon) 01:04:09)
    2023/05/29(Mon) 01:04:54 編集(投稿者)

    pipitさん、こんばんはー

    試しに読んでみたけど、だめだ今アタマに全然入ってこない〜(ToT)/~~~

    とりあえず中山元訳2のp.285〜を読んでますが…
    御子柴善之泉(注:『カント 純粋理性批判』,角川選書)p.127も参照しようかな
    (;´・ω・)

    *******

    T 超越論的原理論
    第二部門 超越論的論理学
    第一部 超越論的分析論〔DIE TRANSZENDENTALE ANALYTIK〕
    第一篇 概念の分析論
    〔略〕

    第一章 全ての純粋悟性概念を発見する手引きについて〔Von dem Leitfaden der Entdeckung aller reinen Versatandesbegriffe〕
    〔略〕

    □全ての純粋悟性概念を発見する超越論的な手引き
    第二節 (第九項) 判断における悟性の論理的機能について〔§9 Von der logischen Funktion des Verstandes in Urteilen〕

    ◆ もし私たちが判断一般の全ての内容を捨象し、判断における単なる悟性の形式だけに注目するならば、私たちは判断における思考の機能が四つのタイトル〔Titel〕に分けられることができ、それぞれのタイトルが三つの契機〔Momente〕を自身の下に含んでいることを見出すだろう。それは次の表で適切に示されることができる。

    1 判断の量=kQuantitaet der Urteile.〕
    ・全称判断 〔Allgemeine〕 〔すべてのAはBである〕
    ・特称判断 〔Besondere〕 〔あるAはBである〕
    ・単称判断 〔Einzelne〕  〔ある一つのAはBである〕

    2 〔判断の〕質=kQualitaet.〕
    ・肯定判断 〔Bejahende〕 〔AはBである〕
    ・否定判断 〔Verneinende〕 〔AはBでない〕
    ・無限判断 〔Unendliche〕 〔Aは非Bである〕

    3 〔判断の〕関係=kRelation.〕
    ・定言判断 〔Kategorische〕 〔AはBである〕
    ・仮言判断 〔Hypothetische〕 〔もしAがBなら、CはDである〕
    ・選言判断 〔Disjunktive〕 〔Aは、BであるかCであるかDであるかのいずれかである〕

    4 〔判断の〕様相=kModalitaet.〕
    ・蓋然的判断〔Problematische〕 〔AはBかもしれない〕
    ・実然的判断〔Assertorische〕 〔AはBである〕
    ・確然的判断〔Apodiktische〕 〔AはBでなくてはならない〕

    ◆ この区分は、たとえ本質的な点ではないとしても、いくつかの点で、論理学者たちの慣れ親しんだ手法とは違っているように見えるから、心配されるような誤解を防ぐために以下のような注意をしておくのも無用ではないだろう。
    ◆ 1 論理学者たちが、「理性推論〔Vernunftschluessen〕において判断する際、単称判断〔einzelnen Urteile〕は全称判断〔allegemeinen (Urteile)〕と同じものとして取り扱われる」と言うのは正当である。
    というのも、単称判断は全く外延をもっていないというまさにこの理由で、単称判断の述語が主語の概念の下に含まれているものの幾つかとだけ連関し、他の幾つかからは排除されるということはあり得ないからである。
    それ故、その〔単称判断の〕述語は主語の概念に例外なく妥当するが、それは、あたかもこの〔単称判断の〕主語の概念が一つの外延をもつ全称的な〔gemeingueltiger〕概念であって、この外延の全ての意味〔Bedeutung〕にその述語が妥当するかのようである。
    これに対して、私たちが単称判断を単に認識として、その量からみて全称判断〔gemeingueltigen〕と比較するならば、単称判断の全称判断に対する関係は、単一性〔Einheit〕の無限性〔Unendlichekeit〕に対する関係と同様である。それ故、単称判断はそれ自体としては全称判断から本質的に区別されている。
    従って、私が単称判断(judicium singulare)を、単にその内的な妥当性〔innnern Gueltigkeit〕によってのみならず、認識一般として、それが他の諸認識との比較においてもつ量によって評価するならば、単称判断はもちろん全称判断〔gemeingueltigen Urteil〕(judicia communia )から別されている。
    だから〔単称判断は、〕思考一般の諸契機を示す完璧な表においては、(たとえ単に判断の使用相互の関係にのみ制限される論理学においてはそうでないことは言うまでもないとしても、)一つの特別な位置を占めるに値するのである。

    --- No.30542,30550からの続き ---

    ◇ 2 同様に、超越論的論理学においては、無限判断〔unendliche Urteile〕≠ヘ肯定判断〔bejahenden (Urteil)〕≠ゥらやはり区別されねばならない。たとえ無限判断が一般論理学においては肯定判断に数えられ、その区別の特別の項を成さないのが正当であるとしても、そうである。

    ◇ つまり、一般論理学では述語のあらゆる内容を(たとえ述語が否定的であっても)捨象し、はたして述語が主語に付加されるのか、或いは主語と対立するか〔ということ〕にだけ注目するのである。

    ◇ しかし、超越論的論理学は、判断を、単に否定的な述語を媒介とするこの論理的肯定の価値または内容にしたがっても考察し、この論理的肯定がその全認識に関していかなる利得をもたらすかを考察する。

    ◇ 〔例えば、仮に〕私が霊魂について「霊魂は死ぬものではない〔sie ist nicht sterblich〕」と言ったとすると、私は否定判断〔verneinenden Urteil 〕によって少なくとも一つの誤謬を防いだことになる。

    ◇ ところで、私は、「霊魂は死なないものである〔die Seele ist nichtsterblich〕」という命題によっては、霊魂を不死なる存在者の無制限な外延の内に置くので、なるほどその論理的形式から言えば実際に肯定したのである。

    ◇ だが、死ぬものは可能的存在者の全外延の一部分を含み、死なないものは他の部分を含むので、私の命題によって主張されているのは、霊魂とは、私が死ぬものをことごとく除去しても残存するところの、無限に多くの諸物のうちの一つであるということ以外の何ものでもない。


    † 原佑訳上巻、p.214〜p.215参照。
    † その他に、中山元訳2、p.57〜p.58、石川文康訳上巻、p.128〜p.129を参照。
    †≠ナ囲まれた言葉は、カントが『純粋理性批判』文中で強調したものです。
    † 翻訳はしますが、◇〜は私が便宜上用いた区分けであり文章は原文・訳文の通りではありません。
    † 文中〔〕内は私による挿入、*1、*2〜や、※1、※2〜は私の覚書とします。これらは後に訂正、削除、修正等することがあります。
    † ◆〜は原典における段落とします。

    *******

    X−1 No.30542、X−2 No.30550、V−3 No.30874
    W−1 No.30139、W−2 No.30154、W−3 No.30529
    V−1 No.29992、V−2 No.30063
    U−1 No.29963
    T−1 No.29833、T−2 No.29850

    *******

    第一部 No.29833,29850
    第一篇 No.29963
    第一章 No.29992,30063
    第一節 No.30139,30154,30529
    第二節 No.30542,30550,30874

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■30943 / )  超越論的分析論X−4
□投稿者/ うましか -(2023/06/03(Sat) 21:20:56)
    2023/06/03(Sat) 21:21:52 編集(投稿者)

    pipitさん、こんばんはー(・∀・)

    まあ進むも留まるも沼にはちがいないので、

    とりあえず浸かりました(;´・ω・)

    No.30880(pipitさん)

    >少なくともカントの時代の一般論理学ではそうだったのですね、ふむふむ...

    そうそう、うましかも常にそれ気にしてます(´;ω;`)ウッ…

    でも圧倒的に、、、、足りない(ToT)/~~~

    *******

    T 超越論的原理論
    第二部門 超越論的論理学
    第一部 超越論的分析論
    第一篇 概念の分析論
    第一章 全ての純粋悟性概念を発見する手引きについて

    □全ての純粋悟性概念を発見する超越論的な手引き
    第二節 (第九項) 判断における悟性の論理的機能について

    ◇ 2 同様に、超越論的論理学においては、無限判断〔unendliche Urteile〕≠ヘ肯定判断〔bejahenden (Urteil)〕≠ゥら、やはり区別されねばならない。
    たとえ無限判断が一般論理学においては肯定判断に数えられ、その区別の特別の項を成さないのが正当であるとしても、そうである。
    一般論理学では、述語のあらゆる内容を(たとえ述語が否定的であっても)捨象し、はたして述語が主語に付加されるのか、或いは主語と対立するか〔ということ〕にだけに注目する。
    しかし、超越論的論理学では、判断を、単に否定的な述語を媒介とする、この論理的肯定の価値または内容にしたがっても考察し、この論理的肯定がその全認識に関していかなる利得をもたらすかを考察する。
    〔例えば、仮に〕私が、霊魂について、「霊魂は死ぬものではない〔sie〔=die Seele〕 ist nicht sterblich〕」と言ったとすると、私は否定判断〔verneinenden Urteil 〕によって少なくとも〔「霊魂は死ぬものである」とする〕一つの誤謬を防いだことになる。
    ところで、〔これに対して、〕私は、「霊魂は死なないものである〔die Seele ist nichtsterblich〕」という命題によっては、霊魂を、不死なる存在者の無制限な外延の内に置くので、なるほどその論理的形式から言えば実際に肯定したのである。
    だが、死ぬものは可能的存在者の全外延の一部分を含み、死なないものは他の部分を含むので、私の命題によって主張されているのは、霊魂とは、私が死ぬものをことごとく除去しても残存するところの、無限に多くの諸物のうちの一つであるということ以外の何ものでもない。

    --- No.30874 からの続き ---

    ◇ しかしこのことによっては、あらゆる可能的なものの無限の圏域が、死ぬものがその圏域から分離されて、残余のその圏域の空間の範囲〔*1〕のうちに霊魂が置かれる限りにおいて制限されるだけのことである。

     *1 第一版では「その圏域の範囲の空間」とされた。

    ◇ だが、この空間は、死ぬものが除去された際にも依然として無限のままであり、だからこの空間のいっそう多くの諸部分が除去され得るが、だからといって霊魂についての概念は、いささかも増大せず、また肯定的に規定されもしない。

    ◇ それゆえ、論理学的外延に関するこの無限判断は、実際には認識一般の内容に関しては単に制限的なものであって、その限りこの無限判断は、判断における思考の全ての契機を示す超越論的表の内では見落とされてはならないのである。

    ◇ というのは、悟性がその際に行使する機能は、おそらく、悟性のア・プリオリな純粋認識の分野において重要であり得るからである。


    † 原佑訳上巻、p.215〜p.216参照。
    † その他に、中山元訳2、p.58〜p.59、石川文康訳上巻、p.129を参照。
    †≠ナ囲まれた言葉は、カントが『純粋理性批判』文中で強調したものです。
    † 翻訳はしますが、◇〜は私が便宜上用いた区分けであり文章は原文・訳文の通りではありません。
    † 文中〔〕内は私による挿入、*1、*2〜や、※1、※2〜は私の覚書とします。これらは後に訂正、削除、修正等することがあります。
    † ◆〜は原典における段落とします。

    *******

    X−1 No.30542、X−2 No.30550、V−3 No.30874、V−4 No.30943
    W−1 No.30139、W−2 No.30154、W−3 No.30529
    V−1 No.29992、V−2 No.30063
    U−1 No.29963
    T−1 No.29833、T−2 No.29850

    *******

    第一部 No.29833,29850
    第一篇 No.29963
    第一章 No.29992,30063
    第一節 No.30139,30154,30529
    第二節 No.30542,30550,30874,30943

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