■29997 / ) |
Re[16]: 世界にいるたくさんの人の中に
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□投稿者/ パニチェ -(2023/03/18(Sat) 08:07:02)
| おはようございます、うましかさん。横レス失礼します。 以下は私になりにレスします、が、うまく伝わらないと思いますので(もともと言語化不可能な対象なので)返信はお気遣いなく。質問、異論、反論があれば、もちろん、何なりとどうぞ♪
■No29994に返信(うましかさんの記事) > 私である(という点で例外的なあり方をした)人が含まれている、とはいったいどういうことなのか?
> 『〈私〉の哲学をアップデートする』p.6における、永井均の「最初の問題」。
> *******
以下は全て「私や〈私〉」をうましかさん自身のこととして読み替えて読解して下さい。
> ・まず、「例外的なあり方」とは事実そうであることなのか。それとも「例外的なあり方」をしているように(私に)おもわれるということなのか?
事実そうであるということです。 加えて言うならば、これ以上の事実や、例外的、つまり唯一無二な存在様相はありません。
> ・私は例外者であるということ。しかし、何の例外者なのか。 > 「私でない」A氏、「私でない」B氏、「私でない」C氏、…「私である」〈私〉?
以下、例外的なことを思い浮かぶままにカキコしてみます(おそらく抜け落ちており、これ以外にもあると思います)
1.世界にある無数とも言えるほどの自我意識の中で「私が他の誰でもなく〈私〉であるということ」が例外的です。 2.〈私〉は〈私〉が認識する世界内には存在しません、〈私〉だけが世界内に存在せず、世界が開闢する特異点(接点)に実在しているということ。 3.他者から絶対に知られることのない私秘性を有すること。 4.〈私〉以外の存在は存在であって実在ではない。〈私〉のみが実在と断言しうる存在(実在)であるということ。 5.すべてを疑っても(エポケー〔判断を留保〕しても)疑えない唯一無二の対象であること。 6.この事実が当たり前すぎて日常的には頽落している(例外的なことが際立たない)こと。 7.言語の特徴(一般化や同一化)により言語化不可能であること。
などなど、まだまだあるとは思いますが。。。
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