□投稿者/ pipit -(2022/09/14(Wed) 08:46:23)
| 2022/09/14(Wed) 08:57:40 編集(投稿者) 2022/09/14(Wed) 08:49:16 編集(投稿者)
おくたがわさん、おはようございます(o^^o)
No26355 > そして下に引用する千葉さんの解釈は、山下さんの「物自体」解釈を含みうる。矛盾しないように思いますが、pipitさんはどう考えられますか? 『「物自体」とは,「我々の心のうちに(自発性から独立に)感覚が生じる」という過程,あるいはその際の単なる秩序のようなものであるのかもしれないし,』<
私も、山下さんの引用箇所と千葉さんの上記引用箇所は、矛盾しないと思います。
No26334 千葉さん論文の引用 > 議論 T は,「物自体 Dinge an sich」についての通常の理解の変更を迫る,ということは強調に値する。議論 T は,触発する物自体が,個体としてイメージされるようないわゆる「物」とは根本的に異なるものであるかもしれない,という可能性を排除しない。 例えば,「物自体」とは,「我々の心のうちに(自発性から独立に)感覚が生じる」という過程,あるいはその際の単なる秩序のようなものであるのかもしれないし,あるいはそれどころか,およそ我々にとって端的に理解不可能なものでさえあるのかもしれないのだ。(それがともかくも我々の認識から独立に存立するものである,ということだけは理解されるが。) しかし,このような可能性は,カント哲学において「物自体」という語を用いることの障害になるとは考え難い。<
千葉さんが > 議論 T は,「物自体 Dinge an sich」についての通常の理解の変更を迫る,ということは強調に値する。議論 T は,触発する物自体が,個体としてイメージされるようないわゆる「物」とは根本的に異なるものであるかもしれない,という可能性を排除しない。<
に関する事柄についてなのですが、
お名前などを失念してしまったのですが、以前にネットでおもしろい論文をチラリと読んだ記憶がありまして、その論文では、(ずっと触発されっぱなしなんだ)みたいな考え方としてpipitは受け取ったんです。
【心?意識?が生じること=触発されている事態】みたいに読めて(精読はできてなかったんですけど)、おもしろいなぁ!と。
にしても、やっぱりこんなにややこしくなるのは、カントのせい! あ、触発されなかったら、ややこしさも無くなるのだなぁ、と、今思いました (・・;)
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