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Re[15]: 宇都宮芳明先生の解説
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□投稿者/ pipit -(2022/03/09(Wed) 10:24:45)
| 2022/03/09(Wed) 10:29:07 編集(投稿者) 2022/03/09(Wed) 10:26:46 編集(投稿者)
No21356
『純粋理性批判 下』 I.カント 宇都宮芳明監訳 以文社 巻末の宇都宮先生による解説より抜粋引用。p906-907
『論理学と数学と自然科学
まず論理学であるが、カントによると、(略)われわれの認識の客観には一切関与しないで、(略)思考の形式的な諸規則しか扱わないから(略)それは客観についての認識によってわれわれの知を拡張するということをしないから、(略)諸学のためのいわば「予備学」であって、その限りでまだ「客観的に学とよばれるもの」には属していない。
これに反して、数学と自然科学は、いずれも認識の客観にかかわり、しかもその客観について、たんに経験的な不確実な知ではなく、経験に先立つア・プリオリな、確実な知を獲得する。(略) それが確実な学の道を歩むようになったのは、そこに革命的とも言える、思考法の一種の変革があったからである。 カントの説明によると、「二等辺三角形」という図形を最初に描いたひとは、(略)二等辺三角形という概念にしたがって、自分で経験に先立ってア・プリオリに考えを投入して描くことによって、その図形をいわば「産出」しなければならないことを悟ったのである。つまり彼は、「なにかを確実にア・プリオリに知るためには、彼が自らの概念に即して自ら事物のうちに置いたものから必然的に結果したものだけを事物に付け加え、それ以外のものを付け加えてはならないことを見てとった」のである。
(略)自然科学が学の大道に踏み出したのは、(略)ここにも「急速に生じた思考法の革命」がある。(略)実験という操作によって自然の法則を求めたとき、彼らが気づいたのは、「理性はただ、理性自身が自らの企画にしたがって生み出したものだけを洞察する」ということであった。 つまり「理性が自然から学ばねばならないことを、そして理性がひとり理性だけでは知ることができないことを、理性自身が自然のうちに投げ入れたものにしたがって、自然のうちに求める」という思考法の改革が、自然科学を確実な学の道へと導いたのである。』
以上宇都宮先生解説文の引用でした、次の解説『形而上学の変革』へ続きます。
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