■20712 / ) |
pipitさんへ、ありがたやー(^人^)
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□投稿者/ うましか -(2022/02/06(Sun) 21:45:46)
| 2022/02/06(Sun) 22:00:53 編集(投稿者) 2022/02/06(Sun) 21:48:25 編集(投稿者)
pipitさん、こんばんはー
No.20708 (pipitさん)
>御子柴善之先生の『カント純粋理性批判』のp122
読みました! (・∀・)
御子柴善之泉、ありがたやー
>中山元先生独自場合では第二巻の102知性と判断、のところです。
確認しました! (・∀・)
中山乃元泉、ありがたやー
*******
ところで、、、(;´・ω・)
>もし時間を一般的概念と考えるなら、【様々の諸時間は同時的に存在し得ない】 という命題は導くことはできないので、上記の命題が成立するということは、時間は一般的概念ではない、と言ってるのではないかと私は考えました。<
ウーン、私にはこれ分かりません(;´・ω・)
カントは4の冒頭で"時間は一般的概念ではない"と言っています。それを敢えて「一般的概念だと考えるなら」というのがちょっと分からないです。もっとも、私にはカントの言う「一般的概念」がどういうものを言うのかが分からないレベルなんですが…( ノД`)シクシク…
>フルーツを一般的概念と考える場合、と比較してみますね。[様々の諸フルーツ(イチゴ、ミカン、ブドウ…)は同時的に存在し得ない]って、フルーツという概念から導き出せる命題とうましかさんは思われますか?<
フルーツを一般的概念とするpipitさんのアイデアには、なるほどと思いました(・∀・)!
ただ、一般的概念である「フルーツ」から「様々の諸フルーツ(イチゴ、ミカン、ブドウ…)は同時的に存在し得ない」を導き出すとは、どういうことなのか、そもそも「できる」「できない」を考える以前に、私にはその導出方法がよく分かりません…( ノД`)シクシク…
(/・ω・)/沼〜
あらためて、、 No.20699 より。
>4 時間は、いかなる論弁的概念、ないしは、よく名づけられているように、一般的概念でもなく、感性的直観の一つの純粋な形式である。様々の諸時間は同一の時間の諸部分に過ぎない。しかし、たった一つの対象を通じてのみ与えられ得る表象は、直観である。また、「様々の諸時間は同時的に存在し得ない」という命題も、或る一般的概念からは導き出され得ないであろう。この命題は綜合的であり、だから概念からだけでは生じ得ない。それゆえ、この命題は時間の直観や表象の内に直接含まれている。<
中山元訳1を久々に参照します。p.98
>(四) 時間は論証的な概念ではないし、一般的な概念と呼ばれるものでもなく、感性による直観の純粋な形式である。異なった時間とは、同じ時間の異なった部分に過ぎない。唯一の対象によってしか与えられない像は、[概念ではなく]直観である。「さまざまに異なる時間は、同時に存在することはできない」という命題は、一般的な概念からは導くことはできないだろう。この命題は総合的なものであり、概念だけからは導けないのである。だからこの命題は、直観のうちに、そして時間の像のうちに直接に含まれているものなのである。<
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