■20708 / ) |
うましかさんへ (*^_^*)v
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□投稿者/ pipit -(2022/02/06(Sun) 20:53:40)
| うましかさん、コメントありがとうございます! 対話してもらうことでものすごく勉強になっています (^人^)(o^^o)
■No20704 > 「様々の諸フルーツは同時に存在し得ない」から、「様々の諸時間は同時的に存在し得ない」は、カントによれば「導き出され得ない」ということなんですかねー<
私見書きますね。
もし時間を一般的概念と考えるなら、 【様々の諸時間は同時的に存在し得ない】 という命題は導くことはできないので、 上記の命題が成立するということは、 時間は一般的概念ではない、と言ってるのではないかと私は考えました。
フルーツを一般的概念と考える場合、と比較してみますね。 [様々の諸フルーツ(イチゴ、ミカン、ブドウ…)は同時的に存在し得ない] って、フルーツという概念から導き出せる命題とうましかさんは思われますか? ちょっと無理っぽいですよね?
でも、時間というお題からなら、 【昨日と今日は、同時的に存在し得ない】 という命題を導くことも可能なので、 お題としての、『時間』と『フルーツ』は身分が違うという考え方ではないかと、pipitは思いました。 (『時間』は一般的概念ではない。 『フルーツ』はpipitの考えでは、一般的概念。)
御子柴善之先生の『カント純粋理性批判』のp122に、 『ここで概念をめぐる三つの用語、「論弁的」「機能」「下に」を理解しましょう。』と御子柴先生が解説されています。 p122の一行目から、p124の中頃まで読むと、感性論での記述もわかりやすくなるかもしれないと思いました。 (※読みたい方があれば喜んで引用しますのでどなたでもおっしゃってくださいませ。)
> ちなみに、カント事典で調べてみたら、p.447〜p.448に鈴木崇夫による解説で、"diskursiv"が、「比量的」と訳されていました。「直観的」と対比関係にあるとのこと。詳しくは先述のページをご参照ください<
読みました! カント事典には、本当に私はよく助けてもらってます。ありがたやー このカント事典の項目にも載ってる、B93もおもしろいですよ。
>「比量的」と訳されていました。「直観的」と対比関係にあるとのこと。<
を、カント自身が説明してくれてますよ。 中山元先生独自場合では第二巻の102知性と判断、のところです。 (*^▽^*)v
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