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Re[30]: 『純粋理性批判』B157
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□投稿者/ pipit -(2022/01/27(Thu) 23:19:50)
| No20555 引用を続けます。
(続き) わたしが自分とは異なる客体を認識するときには、客体そのものについての(カテゴリーによる)思考のほかに、 さらに直観を必要とするのであり、この直観をつうじて普遍的な概念を規定するのである。
それと同じように わたしは自分自身を認識するときにも、 [わたしが存在するという]意識のほかに、 そして〈わたしが自分のことを考える〉ということのほかに、 わたしのうちにおける多様なものの直観を必要とするのであり、 この直観によってわたしはこの思考を規定するのである。
たしかにわたしは叡智的な主体として存在しているのであり、この叡智的な主体はみずからの結合能力を意識している。 しかしこの叡智的な主体も、[自己の認識において]みずから結合する多様なものについては、内的な感覚能力と呼ばれるある制約にしたがうのである。
そしてこの結合を意識するときには、ほんらいの知性の概念の外部にある時間の関係にしたがって直観するしかないのである。
だからこの叡智的なものが自己を認識するのは直観によってであって(この直観は叡智的直観ではないことに注意しよう。これは知性がみずからもたらす直観ではないからである)、みずからにたんに現れるかぎりにおいて認識するのである。 そしてこの直観が叡智的直観であった場合に認識するようには、みずからを認識することができないのである。』 引用終了
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