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(私は、、、考える)と(存在)
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□投稿者/ pipit -(2022/01/26(Wed) 23:26:51)
| No20533 p41-42
カントは 「私は・・・と考える」を「私は存在する(Ich bin)」と等値している、と。 でも、 『純粋理性批判』の根源的前提から言えば、カントはこう言うことはできないのでは? と山下先生からの問いかけ。
純理では、 『感性なしに我々には対象は与えられず、悟性なしにはいかなる対象も思惟されない』 『悟性は何も直観せず、感官は何も思惟しない。両者が結合することによってのみ、認識が生じうる』 (B75) が前提となっている。
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以上の前提(pipitの理解としては→→→認識の成立は、感性による直観と、悟性による思惟の両者を必要条件とする)を頭の片隅に置きまして、、、
>「私は・・・と考える」を「私は存在する(Ich bin)」と等値している<
に、踏み込んでみましょう。ということで、、、
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B157 あたりを見てみればいいのかな? 明日以降、山下先生の引用や解説の理解にチャレンジしていこうと思います。
みなさま、おやすみなさいませ (^O^) ☆彡
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