□投稿者/ pipit -(2022/01/24(Mon) 14:36:36)
| みなさま、こんばんは(^ ^) No20486の続きです。
p38から。
うぅうぅべんきょういやだ。
(T ^ T)(^ ^)(T ^ T)(^_^) 二律背反を表現してみました。。。
山下和也先生『カントとオートポイエーシス』p38より引用 『しかも、観察者としての認識システムにはオートポイエーシス・システムである自分自身すら観察できない。 できるのは、みずから産出する認識表象へ自分自身と見なす現れを現すことだけである。』 引用終了
時々、目は目を見られない、という例えを見ますね。 そのように、観察システムが、自らは観察できない、ということですね(多分)。
カントの認識論も、少なくとも純理では、その路線で行ってるっぽいですよね。 (あ、山下先生は重ねられて考えられてるのだから、重なってるのはあたりまえなのかな)
久々にカント文章引用しますか!
沼、、、B153あたり(中山先生訳本第2巻p150、独自番号164ー)から読んだら、今の私には、めっちゃ沼でした _| ̄|○
いろいろややこしそうなのですが、ごく一部分を引用します。
カントの文章、中山元先生訳、第二巻p155より引用 『外的な感覚能力については、わたしたちが外的に触発されなければ客体を認識できない。 それと同じように、内的な感覚能力についても、わたしたち自身によって内的に触発されなければ、みずからを直観できないことを認めねばならない。 すなわち内的な感覚能力については、わたしたちはみずからの主観をそれ自体として〈あるがままに〉認識するのではなく、たんに〈現象として〉認識することを認めざるをえないのである』 引用終了
ということで、山下先生本に戻りまして、 次はp39から。
p39には、上記にも関わらず、それでも、システムはシステム自身の実在を知っている、と言うことっぽいことが書かれてるっぽいです。
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