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No20428 の記事


■20428 / )  Re[2]: 言葉する
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/01/15(Sat) 15:08:09)
    このごろはメルポンの「言葉(parole)」についての見方を見てるんだけど、つづけます。
    メルポンのを見てて思ったんだけど、「言葉(パロール)」を運動とか働きとして見て、「言葉する」とか「パロールする」っていう表現の方がわたしにはわかりやすいって。

    No20271の〔失語症における経験主義と主知主義、いづれも説明として十分ではない〕のところに書いてあるのを書き写して見ます。

    【語の調音の障害たる構語不能不全(anarthrie)から、知能障害を必ず伴う真正の失語症が確認され、――事実上第三人称的な運動現象にすぎない自動的言語のほかに、大多数の失語症において問題となる唯一の機能たる意図的言語が見分けるようになったとき、失語症ならびに言語の理論は完全に一変したかと思われた。「語心像」の個体性は事実解体した。患者が喪失した正常人が所有しているものは、語の一定の貯蔵ではなく、それを使用する一定の仕方である。自動的言語の平面においては患者の思うがままになる同じ語が、動機なく自由にしゃべる言葉(langage gratuity)の平面においては彼から逃れる。――例えば医師の質問を拒むためには、すなわち現実に体験された否定を意味するときには、「否」という語を造作なく見いだす同じ患者が、感情的な生活的な興味のない言語行使においてはそれを発音することができないのだ。したがって語の背後に一つの態度が、つまり語を条件づける発語(パロール)の機能が発見されたのである。行動の道具としての語と、欲得を離れた単なる呼称の手段としての語とが区別された。「具体的な」言語は依然として第三人称的な過程であったが、動機のない自由な言語(langage gratuit)、本来の呼称は、思惟の現象となったのである。そして若干の失語症の起源は、ほかならぬ思惟の障害のなかに求められなければならないとされた。分類の実験は患者におけるある根本的な障害の存在を示しているのであって、色の名称に関する健忘症は、そのもう一つの現れにすぎないであろう。なぜなら一つの対象の名を挙げるということは、それがもっている個性的なもの、それ独特のものから離れて、そこにひとつの本質、あるいはカテゴリーの代表を見ることだからである。患者が見本の名を挙げることができないのは、赤とか青とかという語の「語心像」を失ったからではなく、感覚的与件を一つのカテゴリーのもとに包摂する一般的能力を失ったからである。つまり、彼が範疇的態度から具体的態度に舞い戻ったからである。これらの分析、その他の同様な分析は、一見、「語心像」の説の正反対にわれわれを導くように見える。というのも、言語は今や思惟によって条件づけられたものとして現れるからである。】

    失語症についてはわたしわかんない。これは横に置いといて。

    【「具体的な」言語は依然として第三人称的な過程であったが、動機のない自由な言語(langage gratuit)、本来の呼称は、思惟の現象となったのである。】
    【言語は今や思惟によって条件づけられたものとして現れるからである。】
    っていうところ、メルポンのはそういんじゃなくて、っていうことなんだと思う。
    言葉(パロール)は「思惟の現象」でも、「言語は思惟によって条件づけられたもの」ではない、って言ってるんだと思う。

    メルポンは【言葉(パロール)の現象】とか【語る(パロール)という現象】って言ってる。
    ハイデガーによると、現象学の「現象」っていうのは、「おのれを示す当のもの」っていうことだった。
    だから、「言葉(パロール)の現象」は〈言葉(パロール)の、おのれを示す当のもの〉、「語る(パロール)という現象」は〈語る(パロール)という、おのれを示す当のもの〉ってなる。メルポンはこういうんで「言葉(パロール)」を見よとしてるんで、言葉(パロール)を「思惟の現象」(思惟の、おのれを示す当のもの)として見ようとしてない、っていうことなんじゃないかしら。

    つづくよ

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