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Re[87]: ちょっと戻って、「表現すること」
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□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/01/08(Sat) 14:23:16)
| No20262はWのなかの【言語は思惟を予想するのではなく、それを成就する】(a)と題してあるなかのを一部抜粋したもので〜す。 カントのことはよくわかんないから、そこんところは横に置いといて、
(a)のほかのところで、メルポンは、 【何を書くのやら自分でもしかとわからずに本を書きはじめる多くの著述家たちが示すように、思惟する主体がその思想を自分に向かっていい現わし、あるいは実際に言ったり書いたりしないかぎり、彼自身でも自分の思惟については無知なのはどうしてか】って言ってる。
思惟は表現に向かう。思惟を言葉で“表現する”ことによって、思惟は成就する。 こんな感じかな?
メルポンのわたしの、
私に〈思われたもの〉が、私に”対して”存在するようになるのは、〈それ〉を「表現すること」によって。 そして私が「表現したもの」(私に思われたもの)は、私の前に提示され、それを私が見る。っていうこと。 これによって私に思われたものは達成される。
Wでは「言葉」を問題としているから、「言葉によって表現する」っていうことになるんだと思う。
私に〈思われてるもの〉は見えないもの。それを言葉で表現(言ったり、書いたり)することによって、私に見えるようにすること。私によって「表現されてるもの」は、私に感-知覚され、それを私(自己)が見る、っていうことよね。これって「経験する」っていうことよね。ん〜ん、「感-知覚する」こと、これって「経験する」っていうことよね。 だから、メルポンは【思惟することも実際の一つの経験であると答えることができる】って言ってるんじゃないかしら。
いまわたしがこうしてること、これがこれね。 でもまだわたしに思われたものを上手に言葉で表現できてない感じ〜。未成就。
ニーチェクラブでいろんな人が自分の思ってること(正確には他人の私のだと思うけど)をいろいろ書いてるよね。これって、こういうことをしてるんじゃないかしら。 前に、 No11343で、「表現すること」についてちょっと書いたけど、それちょっと想い出した。
簡単に見ちゃうと、 「私の思考は話すこと(表現すること)によって完成する」 「私の思考は話すことによって私のものとなる」 「自己はそれを表現することによって自己を知る」 こんな感じになる。
あ、あとメルポンは【語るということが考えることなのである】とも言ってる。
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