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Re[8]: 超越論的感性論 第三項:W−9
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□投稿者/ pipit -(2021/12/31(Fri) 08:47:04)
| うましかさん、こんにちは! うましかさんの投稿のおかげで、きちんとカントの文章に丁寧に向き合えます。 とてもありがたく感じています。(^人^)
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No.20168 で、個人的に、ん?と思ったとこを今から調べます。
> ◇〔以降、第二版のみ→〕なぜなら、人は、空間以外のいかなる表象からも、空間における直観からのようにはア・プリオリな諸綜合的命題を導き出し得ないからである(第三項)。だからそうした表象には、精確に言うと、いかなる観念性も全然帰属しないのであって、たとえそうした表象が、たとえば、色、音、温かさの感覚をつうじての、視覚、聴覚、触覚という感官様式の主観的性質にのみ属するという点では、空間の表象と一致するにせよ、そうであり、しかも、色、音、温かさは、たんに感覚であって直観ではないので、それ自体ではいかなる客観をも、少なくともア・プリオリには認識せしめはしないのである。〔以上、第二版のみ〕<
> だからそうした表象には、<
空間以外の(感性系の)表象には、
> いかなる観念性も全然帰属しないのであって<
そこにあるものだけがその表象に帰属してるということ?
> しかも、色、音、温かさは、たんに感覚であって直観ではないので、<
ここにひっかかった。理解したかった。 No19495 > 『純粋理性批判4』カント、中山元先生訳、p63より引用 『ここでさまざまな観念の段階を示すと次のようになるだろう。 まず[最上位の]類概念は、観念一般(レプレセンタティオ)であり、 この類の下に、 意識を伴う観念(知覚ペルケプティオ)がある。 この知覚が主体の状態の変様として、もっぱら主体にかかわるときには、それは感覚(センサティオ)となる。 また客観的な知覚は認識(コグニティオ)である。 認識は直観(イントゥイトゥス)であるか概念(コンケプトゥス)であるかのどちらかである。 直観は対象と直接的にかかわり、個別的である。<
感覚と直観を異なるものと区別してる。
観念 ↓ 知覚(意識を伴う観念) / 意識を伴わない観念 ↓ 知覚のうち主体の変容にのみ関わる知覚(感覚) / 知覚のうち客観的な知覚(認識=直観系認識or概念系認識)
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客観的でない知覚(感覚)/ 客観的な知覚(直観)
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(感覚) >たとえば、色、音、温かさの感覚をつうじての、視覚、聴覚、触覚という感官様式の主観的性質にのみ属するという点では、空間の表象と一致するにせよ、そうであり、しかも、色、音、温かさは、たんに感覚であって直観ではないので、(感覚)
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(直観) >それ自体ではいかなる客観をも、少なくともア・プリオリには認識せしめはしないのである。<を反対にすると、 (それ自体で客観を、あるときにはア・プリオリさえ認識せしめる)客観的な知覚(直観)
ふーむ、、、物自体の現象の論争で、もしかしたら、二重触発の問題があるのかもと思ってるのだけど(現象が現象を触発して現象を生む)
色や音などは、 現象としての物が、現象としての身体を触発して、現象としての主体の変容、が、感覚である、と、思ってる可能性もあるのかなぁ (pipitの捉え方は、大外れかもだけど)
ふーむ。。。
やっぱり、わたしは、パユットー師さま著でみた十二因縁の解説の一パターンを思い出すなぁ。。。
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うましかさんのおかげで、普段なら考えないことを考えられてると思います。 本当に感謝です。
よいお年を! o(・x・)/
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