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No18658 の記事


■18658 / )  一応、再掲しておきます。
□投稿者/ みのり -(2021/11/10(Wed) 20:07:55)
    ■18621 / inTopicNo.19)  Re[34]: Z 第一部 説話[16]
    ▲▼■
    □投稿者/ みのり -(2021/11/10(Wed) 08:04:35)
    2021/11/10(Wed) 11:02:01 編集(投稿者)
    2021/11/10(Wed) 10:38:36 編集(投稿者)
    悪魔ちゃんからレスありましたが、いただいたそれにレスするより、自己レスでしたほうがわかりやすいかな、と思うのでそうします。

    No18592に返信(みのりさんの記事)
    2021/11/09(Tue) 09:49:13 編集(投稿者)

    [16] 隣人愛について

    ・・・・・
    10 自分の知に反して話す者だけが、嘘つきなのではなくて、自分の無知に反して
      話す者こそが、いっそう嘘つきなのだ。
      ところできみたちは、交際において自分のことをそういう仕方で話し、自分
      をも隣人をも、嘘でだます。
    ・・・・・『ツァラトゥストラ』上 ちくま学芸文庫 p110より引用

    自分で知っていて自覚的に偽りを話す人だけが嘘つきなのではなくて、
    自覚なしに偽りを話す人は、いっそう嘘つきである。

    ところが、人々は人間関係において、自覚なしに知らずのうちに自分のことを
    こういう仕方で話しがちで、自分と隣人をだます。

    ニーチェの遺稿に、「私はそれと知りながら嘘をつく者たちよりも、君たち無意識の 嘘つきのほうがずっといやでたまらない。」
    とあるそうです。
    (訳注 p383より)

    自分の考えていること(思考)に対して自覚なしにいて、無自覚にそのままに発言する人をニーチェは嫌だと言っているのですね。

    自分の思考に自覚的であること、これはとても大切だと私も思います。
    すべてはここから始まると言っても過言ではないと考えます。

    ・・・・・
    12 或る者は、自分を得ようとするがゆえに、隣人のもとへ行き、そして他の者は、自分を失いたいと思うがゆえに、隣人のもとへ行く。
     きみたちの不十分な自己愛のために、孤独がきみたちの牢獄となる。
    ・・・・・同書 p111より引用

    隣人を自分の目的のために利用しようとするのは、不十分な(利己的な)自己愛
    がそうさせるものである。
    そうした不十分な(利己的な)自己愛は孤独を生み、精神を閉じ込めてしまう。

    ※ ※ ※ ※ ※


    10 で言われている「嘘つき」というのは、「自分の心に嘘をつく、自分を騙す」ということだと思います。
    「 自分をも隣人をも、嘘でだます。 」と、10にありますし。

    自分の心に偽りがあることを知っていて、それでもそのまま隣人に接して自分と隣人を騙す人よりも、( A者とします。)

    自分の心に偽りがあることを実は自覚せずにいるのだけれど、自分としては自分なりに自覚しているつもりでいて、そのまま結果的に自分と隣人を騙す人は、いっそう嘘つきと言えるだろう。(B者とします。)

    10の主旨は、こういうことだ私は考えます。

    この章の「隣人愛について」の中の一節ですから、当然、それに沿った話をニーチェはしています。
    以下の12と共に読むと、そのことがよりわかると私は考えています。

    ・・・・・
    12 或る者は、自分を得ようとするがゆえに、隣人のもとへ行き、そして他の者は、自分を失いたいと思うがゆえに、隣人のもとへ行く。
     きみたちの不十分な自己愛のために、孤独がきみたちの牢獄となる。
    ・・・・・同書 p111より引用

    ある人が、自分と隣人に対して自分の心を偽り、そして、自分が自分の心を偽って(嘘をついて)いると気づきつつ隣人に近づく。(A者です。)

    また、別のある人は、自分と隣人に対して自分の心を偽っていることの自覚が実はないのだけれど(嘘をついている自覚がなく)、自覚があると思う心で隣人に近づく。(B者です。)

    近づいた後の言動については、12にある内容です。

    具体例を出してみます。

    自分が孤独で寂しさを抱えているA者が、同じく寂しそうなCさんに近づく際、
    自分が寂しいのでCさんに近づくのだけれど、それを自分では認めたくなくて、
    Cさんが寂しそうだから近づくのだ、と思おうとしているのを自覚しているA者。

    自分が孤独で寂しさを抱えているB者が、同じく寂しそうなCさんに近づく際、
    自分の中にある寂しさになんとなくは気づいているとしてもそれを自覚しようとは
    せず、ただただ、Cさんが寂しそうだから、ただそれだけで自分は近づくのだ、と
    偽の自覚をしているB者。


    不完全な自己愛が隣人愛の正体だ、とするニーチェの主旨とも合っていると思います。

    >ニーチェの遺稿に、「私はそれと知りながら嘘をつく者たちよりも、君たち無意識の 嘘つきのほうがずっといやでたまらない。」
    >とあるそうです。
    > (訳注 p383より)

    最後に、問題のここですが。^^
    ニーチェは後者をより嫌ったということですね。
    「君たち」と書いているので、誰かもしかしたらモデルがいたのかな。
    モデルありか否かについては私はわからないし、正直、そこまでの興味はありませんけど・・・。
    ただ、「無意識のうちに自分を偽る、偽って語る」人をより嫌ったということですね。
    これについて、私は、それをただ、「そうなのね。」と受け止める以外の感想はありません。

    ニーチェの主旨とは離れるかもしれないけれど、
    >>自分の思考に自覚的であること、これはとても大切だと私も思います。
    というのは、前の投稿で書いてみました。

    以上になります。
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