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No18518 の記事


■18518 / )  Re[14]: 無我
□投稿者/ パニチェ -(2021/11/07(Sun) 19:29:08)
    みのりさん、こんばんは。レスありがとうございます。

    No18491に返信(みのりさんの記事)

    > 言語で語れる私についてはいくらでも言語を用いて語ることはできる。
    > しかし、語れない主体についてはいっこうに語ることはできない。
    > ということでしょうか。

    そうです。

    > ふと思ったのは、そもそも主体というのは人間独自の思考によって設定されているものであり、言わば人間の思考によってのみ(言語によってのみ)存在させられているものなので、主体の「本質」について語ろうとしても語れるものではないのではないか、ということ、それをウィトゲンシュタインは引用文で言おうとしているのかな、ということです。
    > そして、
    > >主体は世界に属さない。
    > とは、「主体というのはそもそも存在しない」という意味? とも思いました。

    ここで言う主体とは形而上学的主体のことです。
    そもそも存在しないということではなく、世界内には属さないということですね。

    >>例のカニッツァの三角形みたいなイメージで捉えています。
    > あの図というのは、ウィトゲンシュタインが考えたものなのでしたっけ?
    > それともそれ以前からあるものでしたか?

    カニッツァの三角形はもともとウィトゲンシュタインとは無関係で有名な錯視の図です。
    論考がこのような構図になっているということをパニチェが勝手に持ってきて(分かりやすい)と思って採用している図ですが、説明不足だったようです。

    > でも今回は理解できた気がします。
    > 黒い三つの丸いパックマンみたいなのが、三人の人間。
    > そして、対角線上のそれぞれの頂点が、それぞれの人間の主体になるんでしょうね。
    > 主体、〈私〉と言い換えてもパニチェさん的にはいいのだと思うのですが、それはそれぞれの本人にしか知りえない、というのを表している図なのかな、と。

    黒い三つの丸いパックマンみたいな形や直線が論考で語っている部分の象徴(例え)です。
    論考で語れるところを語ることによって(言語の限界を示すことによって)語れない部分(透明の三角形、これがカニッツァの三角形です)が浮き彫りになるという構図を示したつもりでした。
    余計に分かりにくかったかもしれませんね。

    >>世界内に存在する身体性も含めた空間や物質に関して「私の意志に従う」ものが自であり、「従わないもの」が他であるというような自他の境界みたいなものだと私は読解しています。
    > なるほど。 自分のものとされている例えば心臓は、自分では制御できない(しつこいな〜 (笑)んですが、それは「自」ですか、それとも「他」と考えられますか?

    ここで前提になっているのは言語と論理を世界との対応関係(写像理論)として示しています。
    心臓は自分では制御できませんが身体の特性を述べている文脈ではないので、世界に属するうちの自他の境界を示し、語れる自を語る(書籍に書く)ことで、世界に属さない形而上学的主体を浮き上がらせる(孤立させる)に有効な手段だというようなことを述べているのだと思います。

    > なんでウィトゲンシュタインは一冊しか書かなかったんでしょうね。
    > 哲学で大人気だし、たくさんの解説書も出されているほどなのに。
    > ニーチェのように何冊も出していれば、言説がわかりやすかったのかもしれないですね。

    論考をもって語ることをいったんやめました。
    新たな言語論(言語ゲーム)の発想でもって哲学に復帰しましたが書籍にまとめる前に他界してしまい、多くのメモ書きや論文、講義ノートがみつかり、これをもとにした複数の書籍が出版されたということです。

    > 私自身に関しては、今、『ツァラトゥストラ』で一杯なので、ウィトゲンシュタインの解説書までは手が出せないし、なにしろ去年、永井さん解説のを買って少し読んだけど、わからなすぎで途中でやめてますからねぇ。。。(´;ω;`)ウッ…
    > で、読んでもいないのに、興味本位に自由奔放にレスして、申し訳ない気持ちでもあります。。。

    全然、大丈夫です。^^

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