□投稿者/ おくたがわ -(2021/11/05(Fri) 11:35:13)
| ■No18316に返信(パニチェさんの記事)
おはようございます。返信ありがとうございます。
> ■No18272に返信(おくたがわさんの記事) >>■No18256に返信(パニチェさんの記事) > >>意識は万人にある(特別な例を除く) > >>で、貴方が意識という言葉で表せる存在であるとするなら > >>どうやって沢山の意識が存在する意識の中で、どれが自分の意識であるか判別しない > >>これ、今 についても同様なことが言えると永井さんは言ってましたよね。 > > 「哲学探究1 存在と時間」ではマクタガートの問題提起を持ち出し、「哲学探究2 世界の独在論的存在構造」では「第9章 いかにして〈私〉や〈今〉は世界に埋め込められうるか」で論じてましたね。 > 私は永井氏が〈私〉と〈今〉を対比させるのはあまり面白いとは思わないんですけど。。。(笑) > >>それは、ここ についても同じでしょうか? >>「ここ」の意味は複数あるかもしれませんが、<私> <今> と同様な <ここ> があるでしょうか? > > 私がおくたがわさんのレスを読み違えてないなら。。。 > おくたがわさんや他の方が「ここ」と言ったらその人がいる場所が「ここ」になりますよね。で、移動すれば「ここ」は変わりますが、〈私〉や〈今〉は空間に位置しません。
説明なしで、どれが[それ」であるか分かるという特徴について[今] にもそれが言えると永井さんが書いていたように思いましたので、その特徴を持つ[ここ]があり得るかどうかと考えました。 その特徴だけで < >を使うべきではなかったのでしょうね。
> 〈ここ〉は空間の位置が特定できます。どこでも「ここ」でありえるのは時間の〈今〉とはあり方が違います。 > 〈今〉も〈私〉もそうとしかありえないということだと思います。
たしかに、どこを[ここ]にするかは選べる、少なくとも取り換えができるが、何が<私>であり何時(いつ)が[今]なのかは選べないですね。 自分がありうるように思った<ここ>は、[私]の[今]いる[ここ]であって、全二者に支えられているものかもしれません。 しかも<私>が空間に位置しないということであれば、[ここ]を支えるのは<私>ではなく個々の「私」にすぎないので、[ここ]が唯一性を持つことはない、となるでしょうか。
〈私〉が空間に位置しないということは、時間軸上にも位置を持たない、時空内に無いということでよろしいでしょうか?
ところで、もしタイムトラベルが可能なら<今>は[ここ]と同等なものになるのでしょうか。
> あと永井氏の〈 〉の使い方が面白くない理由のひとつでもあります。 > 〈 〉はあくまで独在性を伴った表記であり、この独在的性は独我論とセットです。 > 〈今〉は万人が共有可能で未来や過去から独在はしていますが独我(独在)論的な意味あいはありません。
<私>と<今>について少し考えたことがあるのですが、ここまでのお返事を待ってからにします(頂けるならです、スルーもご自由に)。
> 私と永井氏では〈 〉の使用が異なるようです。
そうなんですね。分かりました。
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