□投稿者/ パニチェ -(2021/11/02(Tue) 21:33:44)
| 2021/11/02(Tue) 21:34:37 編集(投稿者)
こんばんは、レスありがとうございます。 以下は端的に答えますので、さらさなる質問も歓迎します。
■No18187に返信(pipitさんの記事)
> わたしは、感じたものを知性で理解して知識としてると今のところ思っています。 > 例えば、わたしは地図の緯度経度とかで大阪府の位置の規定ができるように、 > 人間パニチェさんの位置規定も知識としては出来ると思ってるのですが、パニチェさんはどう思われてますか? > 感じるを成り立たせているもの(感じるの原因)の位置規定ではなく、 > 感じたものを知性で組み立てた知識として、人間パニチェさんの空間内での位置規定は可能と思われてますか?
はい、人間パニチェは時空間で位置は特定できます。
> ※ちなみに私はウィトゲンシュタインの本も解説本も読んだことないです。 > 形而上学的主体という言葉は、私の中で考えて述べました。 > 単純に、感性に現れるものを超えてるから『形而上学的』、行為の主体だから『主体』をくっつけて述べました。
形而上とか形而下とか、超越的とか超越論的とか、この手の西洋哲学的な表現はややこしいですよねぇ〜。
例えば「感性的経験でも知り得る。有形無形の現象世界の起点にある、究極的な存在」を形而上と呼ぶか、形而下と呼ぶかとか。。。
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