□投稿者/ pipit -(2021/10/25(Mon) 20:45:37)
| 時さん、こんばんは! 返信ありがとうございます
■No17968 > 梵網経も特に好きな経典の一つです。大切な内容の記載がありますね。例えばですが、六根と六境で六識です。これら3つで六触ですね。この触の生起と滅尽を知ることは大切なことだと個人的には思います。その触がらみ職がらみで不善法が流れ込まないようにする感官(六根)の防護で参考になると思われるのが、中部152経「感官修習経」や長部2経「沙門果経」です。ご参考まで。<
ありがとうございます!
>>『仏法』という本にも、この経典文なのではないかな、という経文が載っていました。(p158) >>十二因縁の解説もいろんな角度からなされていました。 >>(ちなみに著者のタイのお坊様は、法施として喜んで日本での出版を許可し、著作権料はいただきません。と載っていました。) > > それは素晴らしいですね。ただ残念なのは、経典名と原文記載がないのでしょうか?それだとその内容はよくても我々に確認しようがありませんね。法燈明がないということでしょうか。<
巻末にきちんと載っているのですが、タイ版の三蔵のページが載ってると思われます(タイで出版された本を日本人の方が訳されて出版されたようです。『私が翻訳に用いた本書は、カセサート大学のティラ学長の還暦祝いに、有志が資金を出し合って『仏法』十版として増刷されて献本されたものである。』p406とありました。、 訳されて出版された方も、最初は、タイのバンコクで、私家版として出されたようです。その本を今は倒産してしまったサンガ(元社員の方が新しく出版社を立ち上げて頑張ってられるようです)が、日本で出版したようです。
出典の情報としては、 『第13巻相応部因縁篇56ページ、よりはっきり知りたいものは次のものを参照せよ。』 と別経典のページも載ってありました。 タイにいたら、すぐわかるのかもしれませんね。
パーリ三蔵も出版としては、ミャンマー版やタイ版など、複数あるみたいですね。 光明寺さまは、ミャンマー版を訳されてるのだったかな?
>>無明がないとき『それは土台ではなくなります。』かぁ。。。 > > そのようですね。例えば、走り方を知らない人が走り方のその方法や原理を知った後では、走り方を知らなかった時には戻れませんね。知った後では、意識しなくても走れるようになっています。それと同じく、四聖諦を知ること(無明の滅尽)ができれば、苦が継続発生する状態には戻れないということでしょう。つまりは、苦の滅尽の境地です。<
よくわかる喩えですね(^^) 怒らないんじゃなくて、怒れない、みたいな表現を思い出しました。 ありがとうございます!
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