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Re[13]: アドヴァイタ
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□投稿者/ パニチェ -(2021/10/17(Sun) 08:10:04)
| 2021/10/17(Sun) 09:21:55 編集(投稿者)
おはようございます、みのりさん。レスありがとうございます。
■No17653に返信(みのりさんの記事) > まず。みのり的には、みのりの身体とみのりの〈私〉は不分離です。 > そして、眼のところから広がる、みのり的〈私〉世界には、他者はもちろん普通に存在しています。 > ただ、これは、〈私〉でも自我の私でもどちらでもいいのですが、「自分」というものを認識している、意識している時の世界の見え方なんです。 > (みのりにとってはそうだということです。)
> 自分というものを認識していない、意識していない時には、他者という認識も意識も特にはなく、今見えているもの、聞こえているもの、そういうものが不分離にある、という感じなんです。 > こういうことを指して、〈私〉は世界に溶け込んでいる、と表現しました。 > そして、〈私〉ということをニークラで書いている今のような時とか、リアルで嫌なことを感じた時、心配事が出たような時などには、ギューッと圧縮されて「自分」が表れてくる、という感じです。
これよく分かりますし、パニチェが探究しているまさに最先端のところです。 ポイントは意識していない時にも存在するのが〈私〉かどうか、もしそうであるなら〈私〉はどこに位置しているのか?というようなところです。
意識してない時に存在するのが〈私〉であるなら、意識した時に存在するのは言語的な「私」である可能性もあるということ。
さらに、ひょっとしたら身体と不分離な(身体に閉じている)のは〈私〉ではなく「私」ではないか?というようなところが現時点での探究の最先端です。
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