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Re[61]: 距離のパトス
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□投稿者/ パニチェ -(2021/10/10(Sun) 17:58:42)
| 2021/10/10(Sun) 17:59:30 編集(投稿者)
■No17417に返信(みのりさんの記事)
> キリスト教倫理観的な善だけを求めよう(理想だけを求めよう)とする物の観方、考え方は、自分たちを鍛えることがなく弱体化させられる。 > したがって、そうした倫理観による善に従うのではなく、それによって悪とされるようなものを取り入れることによって力を保つことができる。 > このような感じでしょうか。
そうです。 隣人愛とか同情だけでは隣人は弱体化しますからね。 あと去勢された家畜のような没個性や畜群本能を善とすれば人として生まれた特権が損なわれます。 >>ニーチェが考えるところの善悪とは「距離のパトス」によって決まるようなものとしています。距離のパトスとは。。。。
>>『距離のパトス:ニーーチェの用語。彼によれば人間類型は,強さと弱さ,偉大と卑小,高貴と低劣などに応じて2分されるが,前者が後者に身を引下げるのではなく,あくまでも後者に距離をおき,わが身を保持しようとするパトスのこと。人類の向上もこれによってのみ期すことができるとされ,したがって同情をきびしく退ける貴族主義的思想が展開されることになる。(コトバンクより)』
> ああ、具体例は出しませんが、わかりました。 > 「距離のパトス」ですか。まだ『ツァラトゥストラ』には出てきません。 > 他の著作ですか?
ツァラトゥストラでは遠近法的なものは出てきますね。 距離のパトスは主に道徳の系譜で出てきます。^^
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