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Re[12]: うましかドロ沼日記
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□投稿者/ おくたがわ -(2021/08/11(Wed) 09:19:10)
| 2021/08/11(Wed) 12:01:02 編集(投稿者)
■No15491に返信(うましかさんの記事) おはようございます。 以下めんどくさかったらスルーしてください
普通は 1.分析的・アプリオリ(経験に先立つ/経験的事実を調べなくてもわかる)・演繹、- 主語の中に述語の情報が、あるいは前提の中に結論の情報が全て含まれている。 例 ・「独身者は結婚していない」 ・ 前提 全ての人は死ぬ. ソクラテスは人である. 結論 ソクラテスは死ぬ. 2.綜合的・アポステリオリ(経験を必要とする/経験的事実を調べないとわからない)・帰納 - 主語や前提が含んでいない情報が述語や結論に付け加わる。 例 ・「大卒女性は独身率が高い」 ・ 前提 知っている哲学者はみんな長寿である. 結論 全ての哲学者は長寿である. (もっと良い例が無いか考え中)
こういうセットで考えるところを、カントは「アプリオリな綜合判断」の可能性を追求するのでややこしいところがあると思います。 ただ今回の事例で 『物体の〈広がり〉[=延長]と〈形〉』は『知覚や感覚が現実的な対象をもっていない場合にも、感性の単純な形式として、心のうちにアプリオリに存在している』 となっている、その部分だけは、「物体は広がりを持つ」が「分析的」であることの端的な例となっていると私には思えます。
逆に、『不可侵入性、硬さ、色』は「知覚や感覚が現実的な対象をもつ」ことが条件と言っていると読めるので、 そこは「綜合的」の例になると思います。諸対象を知覚や感覚が捉えた像をチェックすることで『不可侵入性、硬さ、色』という概念を物体に付け加える。
問題は『実体、分解可能性など、知性[=悟性]が考えだしたもの』 これは何なのか。 もし「現実的な対象を」もたずに知性だけで導けるなら「分析的」になり 「現実的な対象を」材料にして導き、それがなければ導けないなら「綜合的」となると思いますが、 「アプリオリな綜合判断」を主張するカントであれば必ずしもそのような分類はできないかも。 ここについては、カントの考えは私には分かりません。
> 分析的〜は(見出されるまえは未知)既知
「独身者は結婚していない」のような、あからさまにトートロジーのようなケースを除外して、一見では主語や前提の中に含まれていることが分かりにくい情報を、述語や結論として明示するということの価値を示すために「見出されるまえは未知」と言うのかな…。厳密な区別は無いように思いますが…。
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