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Re[26]: カント沼日記
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□投稿者/ pipit -(2021/07/22(Thu) 22:36:50)
| ■No15146に返信(うましかさんの記事) > pipitさん、こんばんはー > お騒がせしてすみませんでした(´;ω;`)ウッ…<
いえいえ、パニチェさんにはありがとうございます! & うましかさんには、おつかれさま(^-^)
> ******* > > >すべての判断〔allen Urteilen〕においては、主語〔Subjekts〕と述語〔Praedikat〕との関係がそのうちで思考されている > > なぜ「判断」が"主語−述語"という文をとおしてなされていると考えられるのか、沼(;´・ω・)<
ここですねー、もしかしたら、前におくたがわさんが読まれてたところや、わたしが今から解読したいな、と、思ってる箇所も、関わってくるかもー、と思ってます。
> 私たちの経験も、認識も、判断も、けっきょくは文をとおして分析されるということなのかな〜(;´・ω・)? <
今、確認しないで私見述べますね。 うましかさんは、うましかさんで捜査を続けてくださいね!
カントは、思考とは、概念と概念の位置関係を作ることと考えてたんじゃないかな、と、今の時点で思ってます。 上位概念、とか、包摂、とか、わたしは詳しくないけど、論理回路的な描き方をしてるかも、って。(違うかもですけど)
それで、位置関係決まったら、その関係を、文で表す(言葉で表す)ことも可能となりますよね。 概念の位置関係決まったら、文章にもできる。 そんなイメージを今のところ持っています。 といっても、全然足を使ってない(勉強してない)ので、捜査を続けます o(・x・)/
> 冨田恭彦『カント入門講義』のp.124〜によれば、カントの分析判断と綜合判断の区別はロックによるものとのこと(p.129〜参照)。カントもこれについて『プロレゴーメナ』で言及しています。<
ロックやヒュームにすごく影響受けてそうですもんね。 カントに対する批判や疑問も含めて、うましかさんの捜査を楽しみにしてます!
ありがとうございます( ^ω^ )♪
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