□投稿者/ うましか -(2021/07/22(Thu) 21:56:52)
| pipitさん、こんばんはー お騒がせしてすみませんでした(´;ω;`)ウッ…
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>すべての判断〔allen Urteilen〕においては、主語〔Subjekts〕と述語〔Praedikat〕との関係がそのうちで思考されている
なぜ「判断」が"主語−述語"という文をとおしてなされていると考えられるのか、沼(;´・ω・)
私たちの経験も、認識も、判断も、けっきょくは文をとおして分析されるということなのかな〜(;´・ω・)?
冨田恭彦『カント入門講義』のp.124〜によれば、カントの分析判断と綜合判断の区別はロックによるものとのこと(p.129〜参照)。カントもこれについて『プロレゴーメナ』で言及しています。
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