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自然的という言葉のニ義性という可能性
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□投稿者/ pipit -(2021/06/19(Sat) 23:55:21)
| ■No14271 うましかさん、こんにちはー
言葉のニ義性を絡めて考えてみました。 的外れだったらすみません。
※※※※※※※※※※※※ カント的【自然的】という言葉の二義性@A @正当かつ当然行われるべきはずのもの(本来あるべき姿としての自然)という意味合い A通例おこなわれているもの(現在ありのままの姿としての自然)という意味合い ※※※※※※※※※※※※
@としての【自然的】の適用例 ↓ 経験を棄てた地に建物(知見)を建てようとするなら、 『いったいいかにして悟性はあらゆるこうしたア・プリオリな諸認識へと達しうるのか、またいかなる範囲〔Umfong〕、妥当性〔Gueltigkeit〕および価値〔Wert〕をそれらのア・プリオリな諸認識はもちうるのか』 という問いを何よりも先に(知見の建築前に)提出しておくことが、【自然的】@(本来あるべき姿)に思われる。
Aとしての【自然的】の適用例 ↓ とは言え、こうした研究(『いったいいかにして悟性はあらゆるこうしたア・プリオリな諸認識へと達しうるのか、またいかなる範囲〔Umfong〕、妥当性〔Gueltigkeit〕および価値〔Wert〕をそれらのア・プリオリな諸認識はもちうるのか』)が長くなおざりにされざるをえなかったということ以上に【自然的】A(現在ありのままの姿)で明白なことは何ひとつとしてない。
変だったらすみません(^人^) おやすみなさーい ☆彡
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