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ニーチェの見性>みのりさんへ
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□投稿者/ パニチェ -(2021/06/16(Wed) 20:20:20)
| 2021/06/16(Wed) 22:21:42 編集(投稿者)
こんばんは、みのりさん。レスありがとうございます。
■No14169に返信(みのりさんの記事) > そう思われる理由ってどういうものですか? > 興味あります。^^ よかったら教えてください。
覚者の話からするとやはり十牛図のように悟りの段階的な深まりとか、漸悟(ゆっくり悟りに至る)とか頓悟(すばやく悟りに至る)はあるんだな、という感覚があります。
もしニーチェがその後も見性していたなら、そのことをアフォリズムとして残していると思うんですが、そういうアフォリズムは私の知る限りではないということ。 ひょっとすると健康の最低点で体験したランナーズハイのような見性だったのかもしれないとも考えています。
また先の記述(永劫回帰の受胎の様子)のある『この人を見よ』では「なぜ私はかくも賢明なのか」「なぜ私はかくも怜悧なのか」等々のタイトルや、その一部内容も含め、誇大妄想に近い自意識過剰なところにニーチェの陰りゆく精神、狂気が垣間見えるととともに、その後、見性が深まっていればここまで我丸出しにはならないのではないか、と得手勝手に想像しています。^^
> 牧師の子どもとして生まれ、そこで厳格に教えられた道徳に忠実だったニーチェが、自分で考え自らの意志で生きていくことに目覚めた。 > そしていつか、人生に起きてくる様々なことを肯定しつつ、無心に生きる人となっていった。 > 本当ですね、すごい。。
素晴らしい読解力!その通りです。
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