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No13738 の記事


■13738 / )  Re[9]: 和訳
□投稿者/ おくたがわ -(2021/06/08(Tue) 13:30:01)
    2021/06/08(Tue) 13:47:52 編集(投稿者)

    No13694に返信(おくたがわさんの記事)

    > 昨日見ていた部分で、石川訳では全く意味が解らず、本人には分かっているんだろうか?と思う部分が、原佑訳ではスッキリ分かるのがあり、優劣を一概には言えないなと思いました。その部分の天野訳はちょうど間くらい。
    > 原文を読めないし今回は英文も見ていないので、自分として理解できる日本語になっているということによる判断だけなのですが…。
    (以上おくたがわ)

    実際の文章を引用しない評定では濡れ衣も着せうるので、以下に引用しておきます。
    石川訳の方が正しいと考える人もいるかもしれないし。

    純粋理性批判 b69
    石川訳 p106
    「現象の述語はわれわれの感覚との関係において、客体そのものに帰せられうる。たとえば、バラには赤い色あるいは香りが帰せられる。しかし、仮象はまさしく感覚との関係においてのみ、あるいはそもそも主体に認められるため、述語としてはけっして対象に帰せられえず、客体自体にともなっていない。たとえば、はじめは土星に二つの柄があるとされたが、そうでなかったように。客体それ自体にはまったく見られないが、つねに客体と主体との関係に見られ、客体の観念と不可分なもの、それが現象である。だから時間・空間という述語が感覚の対象そのものに帰せられるのは正しい。その点では仮象はない。それに対して、主体に対するこれらの対象の一定の関係を無視し、私の判断をその関係に制限せずに、私がバラ自体に赤を帰し、土星に絵を帰すなど、あらゆる外的な対象に広がりをそれ自体として帰せば、そこに直ちに仮象が生じるのである。」

    原佑訳 p106
    「現象は、私たちの感官との関係においては、述語として客観自身に付与されうる。しかし仮象は述語として対象にけっして付与されえない。というのも、仮象は、感官との、あるいは総じて主観との関係においてのみ対象に付属するものを、客観それ自身に付与するという、まさにこの理由からである。たとえば、最初二本の柄が土星に付与されたのが、その例である。客観それ自体では全然見いだされることができないが、客観と主観との関係においてはいつでも見いだされることができ、客観の表象から分離することができないものは、現象であり、かくして空間と時間とは当然述語として感官の諸対象そのものに付与され、だからこの点でいかなる仮象でもない。これに反して、私が、バラ自体に赤い色を、土星に柄を、あるいはすべての外的な諸対象に拡がり自体を付与して、これらの諸対象と主観との関係を顧慮せず、また私の判断をこの関係に制限しないなら、そのときはじめて仮象が生じる。」

    疲れたので天野訳はパス 英訳もパス


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