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pipitさん、こんばんは〜
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□投稿者/ うましか -(2021/05/29(Sat) 19:28:11)
| →No.13240 うましか →No.13277 pipitさん
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>『認識』という言葉の指すもの、が、難しいですよね。
そうなんですよね!(´;ω;`)ウゥゥ
「経験(する)」も「認識(する)」もつい日本語の文脈から考えてしまうのです。でも、考えてみれば、この手の日本語もそもそもは輸入された外国語の翻訳なのかなー知らないけど^^;
>手元に、『語源から哲学がわかる事典』山口裕之先生著.日本実業出版社 という本があります。 >哲学の対象となる「知恵」が、およそ「学問」と呼ばれるものの全域にわたっていることを見た。つまり、哲学の対象となるのは、学問的に正しい知識なのである。この「正しい知識」のことを、英語ではknowledge、ギリシア語では「エピステーメー(略)」と呼ぶ。 >この言葉は、哲学用語としては「認識」と訳された。なので、哲学の文献で「認識」という言葉が出てくれば「学問的に正しい知識」という意味であり、「認識する」といえば「正しく知る」という意味である。
おお!(;゚Д゚)
知恵 ⇔ 学問的に正しい知識 → エピステーメー、knowledge → 認識
ということですかね。
>ギリシア語のエピステーメーは、ラテン語ではscientiaと訳された。これがscienceの語源である
scire(知る)ってことですかね。
>もしうましかさんがご興味があれば、引用しますので、おっしゃってくださいね(^_^)v
では、お言葉にあまえて…よろしくお願いいたします! m(__)m
>経験とは、経験的な認識のこと、すなわち知覚によって客体を規定する認識のことである。だから経験とは知覚の総合であるが、この総合は知覚そのもののうちに含まれているものではなく、知覚された多様なものの総合的な統一を、一つの意識のうちに含んでいるのである。この総合的な統一が、感覚能力による客体の認識の本質であり、(たんに直観や感覚能力による感覚ではなく)経験の本質である。
うーん、、、噛めば噛むほど、、、わかりません(´;ω;`)ウゥゥ
経験=経験的な認識 =知覚によって客体を規定する認識 =知覚の総合 ={知覚された多様なもの}の総合的な統一 ???(・・?
ああ、沼にしずむ〜
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