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Re[10]: つばめさんへ
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□投稿者/ おくたがわ -(2021/05/27(Thu) 08:19:37)
| ■No12746に返信(つばめさんの記事) おはようございます。 > >勝手に飛びます。 > > ☆大歓迎です♪ > > >理由は分からないが意識というものが発生して(たまたま?)、「私」をめぐるエピソード記憶が可能になり、そこに感情が伴い楽しい結果や苦しい結果の記憶によって行動を修正できるようになる。それは生き残る確率を高めるので、そういう能力を持った種が定着した。(しかしそれが他の生物にない苦悩をももたらし…)勝手に進化論に結びつけましたが、進化心理学が実際にどう見ているかは知りません。 > > ☆なるほどと思います。 > > エピソード記憶や感情を持っている種が生き延び、その中でもひとはよりそちらの分野に発達?し他の動物にない苦悩まで持つに至った。・・・かな?
ゴリラには過去も未来もないから悩まない というのを昔テレビでやってたけど。私はゴリラに聞いてないので分からない。 ググったら、大体の趣旨が分かるのがありました。
「ゴリラに学ぶ、人間のあり方」山極 壽一 × 辰野 勇 (+ 禅の坊さんの感想) https://gaunji.com/%E3%80%8C%E3%82%B4%E3%83%AA%E3%83%A9%E3%81%AB%E5%AD%A6%E3%81%B6%E3%80%81%E4%BA%BA%E9%96%93%E3%81%AE%E3%81%82%E3%82%8A%E6%96%B9%E3%80%8D/
今話していることと、かなり関連深いです。以下に引用した以外の部分も面白いこと書いてあるので、よろしければ読んでもらえれば
***** 引用: 山際「〜人間は言葉を持っており、過去を常に確認できるから、今の状況と比較して落胆したり、あるいは喜んだりする。また、未来の自分というものを言葉によって描いて、努力すれば目標に近づけるかもしれない、と夢を抱いたりもする。そういうことは、ゴリラもチンパンジーもやらないんです。」 **********
> なんかね、社会的生きものの極めつけ?みたいな気もしないではないです。(笑) > > >そうですね。引用を見て、えらく断言しているな自分、と思った。 > > う〜ん。そうは思わないのですが、ほんのかすかな違和感が過ったような気がしていて、 > > 振り返ると、 > > >しかし、「苦しみ」自体を消そうという目的で、 > > >この苦しみには意味がある、これはいつかきっと役に立つ、 > >この苦しみがあるから他者の苦しみを分かる人になれる とか > > ☆これは、どこでも聞くような言葉で苦しみは幸福の元ですよ、みたいな発想かなと。 > きっと後で元が取れますよ、みたいな。(笑)
もちろん、どこでも聞くような言葉や発想の例として挙げてます。
> 損失を投資したことにしちゃいましょう、みたいな。(笑) > (こんなことを2000年ぐらいやってる?) > しかも、まったく無責任な言葉。 > > だけど、これで癒される人は癒されるし損失が投資に変わる人は投資したことになる。
癒されるんだろうか? と私が言うとツバメさんに違和感が生じるのかな。 そういう人もいるだろう、癒される場合もあるだろう、とツバメさんが言っているのは分かります。 そこで 五歩譲って、癒されない場合が多いのではないか。それでは癒されないものに対応しているのが禅・仏教だろうということを、あくまで私の個人的見解として述べさせていただいてます。
> この変化というか顛末というか。 > それがすごく魅力的だなと思わなくもないです。
なるほど。
> 自分にとっては無意味なのだけれどほかの人にとってはとても意味のある事。 > そういうことあるのだなと。
それはあるでしょうね。
ちょっと、前提が足りなかったかもと思うので、書きますが 上記にあったように、どこにでもある発想、深く悩んだ経験のある人がほぼ必ずたどるであろう発想だと私は捉えていて(自分の経験も含めて)、それで上手く解決できれば良いが、解決できるケースは少ないよね(本当に深い苦悩なら)。それは何故なのか、そしてどうすればいいのか、と しかし、本当にどうすればいいのかを体得していると言えない自分の言説には価値が無いですね、と気づいて、そう書いた気がする。 そんな話に付き合ってもらって悪いかなと。
今思ったけど、上記よくある発想では解決できないことをツバメさんは当たり前にわかっていて、それでも意味のある場合はあるんじゃないかと複眼視はすべきと考え、否定方向からだけ述べている私に違和感をもったのかな。つまりステージが高いのでは。
>>そういう意味付けは役に立たない。やればやるほど深みにはまる可能性すらあるように思っています。
こういう断定が気になったのでしょうか。しかし、自分としては「可能性すらある」はそうとう婉曲に書いたつもり。
> ☆全く同意なのですが、「求めよさらば与えられん 」じゃないけれど、「求める」人にとっては、生きていくうえで役に立つ(与えられる)のだろうと。
役に立たない、求めるほど遠ざかるケースについて話しているつもりでしたが、もともとツバメさんの考えていたことと方向性が食い違っていたのかも。 私がツバメさんの発言を取り上げてコメントしたのが発端だと思うので、私の責任です。 ツバメさんの「苦しみに意味はない」という発言を誤解し、そして自分の問題意識の方へ引っ張ったためかも。
> >やればやるほど深みにはまる可能性すらある > > 深みにはまること多いのじゃないかと。 > てか、そんな仕組みになっているのだろうと思ったりします。 > > 大体ひとって学習する生きものだから、教えたり教えられたりが大好き。 > 「この苦しみには意味がある」なんて繰り返し他人に言い続けているうちに > 言ってる当人にバイアスがかかりまくって教祖(大げさですが)みたいな気分になってしまう場合もありかもです。 > >>逆に、この宇宙の大きさからみたら自分の苦しみなんて、とかも同じく。 > > うん。うん。 > 「この苦しみには意味がある」という人も、「この宇宙の大きさからみたら自分の苦しみなんて」とかっていう人も同根の気がします。
「深みにはまる」の意味に誤解があるみたい。 誤解を解くためのコメントしたと思うので、後で出てくると思う。自分が投稿し忘れてたらまた書きます。
> ・・・で。 > ほんのかすかな違和感がなぜあったのかと言いますと、 > おくったがわさんが言われるように「断言」していると感じたのかなぁ。
そうかもしれないし、誤解があるかもしれないし。
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