| 2020/08/22(Sat) 09:14:28 編集(投稿者)
以下、横レスみたいな内容になりますが自分の意見の表明です。 〈私〉にもリンクするテーマなのでこちらのトピに投稿します。 横レスは歓迎しますがスルーでも構いません。
主観とはまさに「マッハ的光景」のことである。
『これが現象学だ』では「マッハ的光景」を直接経験とし「主観的」と表現しているが「的」な必要はなく、これこそが主観そのものであるということ。
客観なるものは私たちの想像や幻想の類であって、私たちの視覚を通じた認識には主観しかなく、客観なるものはない。 よって「マッハ的光景」は主観そのものであるということ。
「マッハ的光景」をベースとして「マッハ的光景」間で他者と共有できるものが間主観であり、これを日常的な言語として客観と呼んでいるということ。 そして「マッハ的光景」は視覚版であり、直接経験には「マッハ的光景」的な聴覚版、臭覚版、味覚版、触覚版がある。
PS.上記は日本語的な語感に依存した発想であるが、むしろ日本語的に主客問題をスッキリすればいいとさえ思ってる。万人は主観しか持たないということを徹底すれば、多少なりとも世界にはびこるドグマチックな発想や独善的な思考も和らぐような気がする。
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