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■1444 / inTopicNo.1)  リベットの実験
  
□投稿者/ パニチェ -(2019/07/07(Sun) 08:09:46)
    No1439に返信(パニチェさんの記事)

    > ■No1348に返信(パニチェさんの記事)
    > おはようございます、返信遅くなりました。^^;

    > >>実は私はマインド・タイムを読んでいないので、正しくは知らないのですが、サブジェクト(被験者)の頭蓋骨を開けて、脳に直接電極を挿した実験だとも聞いております。
    > >>それに応募したサブジェクトも正常人と思えませんが、そういう非人道的な実験なら、追加実験が行われないのもうなづけます。

    >>マインドタイムを再度読んで、また改めてレスさせてもらいます。

    > ********** 以下、「マインド・タイム」よりの引用  **********

    > 私がこのような研究に手を染めるようになったきっかけは、同僚であり、友人でもあるバートラム・フェインスタイン博士の影響でした。バートはカリフォルニア大学サンフランシスコ校の生化学研究室の実験神経学者でした。歩行に関する筋肉機能についての共同研究者として、私はそこで彼に会いました。(中略)やがて彼が定位神経手術をカリフォルニア大学サンフランシスコ校に導入したのですが、実質これが、西部アメリカ全体に広まる結果になりました。定位神経手術では、脳を切開することなしに脳のより深いところにある構造をめざして、そこに到達するために、治療用電極または探針を脳に挿入します。そのためにまず、三次元座標のついたフレームを、患者の頭皮に固定します。そしてあらかじめ、脳内のターゲットを読みとる座標をマッピングしておきます。当時この方法は、パーキンソン病患者の震えを鎮める目的で、加熱した探針によって特定の深い構造を破壊するために主に使われていました。このレクセル式のフレームのおかげでフェインスタインは、非常に選択肢の多い経路の中から一つを選んで、目的とする脳なの構造に到達することに成功しました。

    > ******************** 引用終わり ********************

    > 脳は切開しませんが、電極を挿入するとなると、なかなか健常者への実験は厳しいですね。

    追記&訂正

    上記の引用はP.32〜P.33でしたが、P.35には以下のように追記されていました。

    ********** 以下、「マインド・タイム」よりの引用  **********

    フェインスタクィンは1978年に逝去しました。私は一人の親友を失い、世界は実験神経外科学の先駆者を失いました。彼の死によって、私の研究の方向性も変わりました。意識を伴う意志がどのように脳の機能に関係しているかについての研究に、私は目を向けました。この研究だったら、健常者を、実験を行うことができます。自発的行為に伴う電位の変化を検出するために、頭皮に記録電極をつければ通常は十分であり、それこそ自分の設計した実験に必要なものでした

    ******************** 引用終わり ********************

    頭皮に電極をを付けるだけみたいですね。

引用返信/返信 削除キー/
■1422 / inTopicNo.2)  Re[60]: 仏教の悟り
□投稿者/ pipit -(2019/06/30(Sun) 19:19:36)
    パニチェさん、こんばんは。
    返信&引用ありがとうございます、とても興味深かったです。

    今、カントの感性論のとこ理解しようと勉強してて、
    内観の対象の表れ、や、空間の中での自分の位置、について、考えてたので、
    パニチェさんが引用してくださった中にあった『指向』や『身体地図を担当する領域』の記述などいろいろ参考になりました。

    通常の意識の表象では
    自分の位置があって、右と左、上と下ができて
    座標は(わたし)が、ゼロになるのかな、とか考えてて。

    好きなときに簡単に左脳の活動オフれたら、いつもとは違う景色見れますのにね(^ ^)

    それではおつかれさまです
    大阪もサミットでいろいろ規制されて大変な地域もあったようですね、
    テロなどもなく、無事終わりそうでよかったですね(o^^o)

    ありがとうございます


引用返信/返信 削除キー/
■1421 / inTopicNo.3)  Re[59]: 仏教の悟り
□投稿者/ パニチェ -(2019/06/30(Sun) 18:02:00)
    No1420に返信(pipitさんの記事)
    > パニチェさん、返信ありがとうございます

    こちらこそ、返信ありがとうございます。

    > 熟達すると、自分の意志で、自在に脳の状態をコントロール出来得るのかもしれませんね。
    > 無我、って、どんな世界なのかなー
    > 無分別、って、、、

    言葉を覚える以前の状態(もの心がつく)に戻るみたいな感覚らしいです。
    私、貴方、自他、過去、現在、未来などなど言葉によるラベリングで本来は不可分な(切り離しできない世界の)全体運動を分断化している。
    無分別智が仏智であると言われる理由がここにあると思われます。
    過去や未来という言葉を知らない動物は常に今を生きており(而今:道元禅師の言葉)、過去の出来事への後悔や未来への憂いなんて苦は生じないですからね。

    > って、やっぱり練習しないと難しいのかな、私の心の中に映る世界は、
    > 境界線ハッキリクッキリです (^^;;

    ジルボルト・テイラーによれば、左脳の活動が落ちると自他の境界認識は曖昧になり、世界イコール自他となるようです。
    以下は「脳と意識の地形図」より引用

    ******************** 引 用 ********************

    集中力が高まり、澄みきった心境が伺える特徴もあって、たとえば不安を作りだす扁桃体はいつもりずっとおとなしい。視床下部も自律神経系──「戦うか逃げるか」の反応の源である──の働きを阻止し、代謝を低くするという独特の働きをしていた。そのいっぽう、超越意識ならではの特徴もいくつか見られた。指向(ひとつの対象に注意を向けること)が固定され、前頭前野の活動が最高二割も盛んになり、頭頂葉の活動めっきり減っていたのである。

    瞑想時に脳のどの領域で、どんな活動に変化が起きるかがわかれば、超越体験がもたらす主観的な特徴を、脳がいかにつくりだしているのか仮説を立てることもできる──あくまで憶測の色彩が強いが。まず指向が固定される現象を考えよう。指向とは、「あれは何だ?」とばかりに対象に注意を向ける反射作用である。これは、ある刺激(感覚刺激でも、内部で生成された刺激でもよい)が突出していて、競合するほかの刺激に打ち勝ったときに自動的に起こる。その刺激に関連する神経活動が、興奮性の神経伝達物質によって増幅され、脳の底にある青班というところから皮質へと脈打つように伝わっていく。ふつうの意識では、指向は数秒ごとに切りかわっている。脳はもともと探求好きだからだ。実際に首を動かしてまわりを見ていなくても、脳はいつも周囲を探っている。たとえばマントラを唱えつづけるといった、単一でしかもあまり刺激のないことに指向を固定させるのは不自然なことであり、それを実践するにはかなりの努力が必要となる。

    刺激に対して指向が働き、注意が向けられると、脳のほかの領域はそれを維持しようとする。たとえば前頭前野は、ほかから入ってくる情報を積極的に阻害しはじめるので、競合する刺激は意識まで上がってくることができない。眠っているときに感覚が遮断されるのとまったく同じことが起こっているのだ。睡眠中は、視床が刺激をせきとめて皮質に行くのを防いでいるのに対し、注意を集中させているときは、感覚情報はちゃんと脳に入り、高いレベルで構築され、表現までできている。

    高いレベルの表現は記憶に「しまいこまれる」こともあるので、「いまの瞬間」の意識と異なり、促されれば感覚情報について本人が語ることもできる。場合によっては、こうした「うわの空」の状態のほうが、感覚に注意を向けているときより完全かつ正確に表現できる。身近な例を挙げよう。何かの作業に熱中している人に話しかけるとする。しかし相手は聞えてないらしい。そこで「いま言ったことわかった?」と念を押すと、そこで初めて相手は「スイッチ」が入り、しばし考えて言われたことを復唱する。ということは最初からはっきり聞いたことを意識していたのか。それとも気持ちはよそに向いているあいだに入ってきた情報に、機械的にアクセスしていただけなのか。それは当人もふくめて誰にもわからない。
    瞑想中の前頭葉に起こる変化を見ると、ひとつの対象に注意をしっかり固定しているので、感覚情報は意識できなさそうだ。しかし、それは瞑想中も感覚(外から聞こえる音など)は鋭く意識していて、ただ影響を受けないだけという証言と矛盾する、しかしこうした証言は、瞑想状態に起こっていることを正確に反映しているのか。それとも、瞑想中に経験したと思っているだけで、そのとき脳に入ってきた知識にあとからアクセスしているのか?これもまた判断の下しようがない。

    注意を狭い範囲に集中させるあまり、「我を見失う」ようなことはあまり起こらない。何かに熱中していて相手の話を聞きもらすようなときでも、物理的な境界を監視する身体地図は機能しているので、かすかではあるが身体的な自己の概念は保たれている。しかし、瞑想の場合、指向が長いあいだ固定されることで前頭前野の活動が極端に高まり、身体地図を担当する領域が静まって身体概念が失われる。その結果、身体の境界に関する無意識の認識さえも消失するのである。

    通常存在する概念上の境界がなくなると、その枠におさまっていた自己の感覚は蒸気のように外に流れ出し、周囲のあらゆるものを組み込んでいく。世界を「内側」からではなく、あらゆる側から見ているような気がするのはそのためだ。自分はどこにもいないようで、すべての場所にいる──他のものから切りはなされているのではなく、一体となった感覚が生まれる。

    ******************** 引用終わり ********************

    > 病や死に対峙したとき、ですよね
    > そうかぁ、パニチェさんが、どう死ぬかはどう生きるかだ、みたいなこと
    > おっしゃってたの、そういうことなのかなー(って勘違いしてたらすみません・汗)

    そうです、そうです。平常時では何とでも、理想や偉そうなこと言えますからね。^^

    > 一寸坐れば一寸の仏、って、私の意識がはっきり注目する上でははじめて知りました。
    > とてもいい言葉ですね。

    同意。私のような凡夫からすれば有難い言葉です。

    > 智慧、から、解脱目指されてるのですね。

    覚者によれば悟りには智慧はむしろ邪魔で、悟った後に自ずと仏智は備わるようです。
    私はあえて邪魔と言われる智慧から始めているわけで、ドンキホーテみたいな変人だと思います。(笑)

    > かしこいひとは、きっと、やさしい、ですよね (o^^o) (イメージ)
    > やさしい人は、、、かしこくない人もいるのかな ??
    > きちんと説明してくださって感謝です!

    どういたしまして。自分の考えをまとめたり、振り返ったりする機会にもなるので、こちらこそ感謝です。

    > 今日の朝刊に、G20の写真が載ってて『大阪でケンカは、あかん』って大きめの文字タイトルついてました。
    > この文字つくと、各国首脳が(各自企みいっぱいで)並んだ写真がとてもいい写真に見えました。
    > 関西わ〜るど、いいですね !
    > うちの次男くんは、押しの強さが苦手みたいですけど(^^;;

    そういうイメージがあるみたいですが、やっぱ人によりますよ。私は押しの強い人とか、あまりにも馴れ馴れしい人は嫌いです。^^

    > ありがとうございます、おつかれさまです

    どういたしまして。
    返信はお気遣いなく。

引用返信/返信 削除キー/
■1420 / inTopicNo.4)  Re[58]: 仏教の悟り
□投稿者/ pipit -(2019/06/29(Sat) 17:28:52)
    パニチェさん、返信ありがとうございます

    > 私は悟りを脳のある状態と考えております。
    > 無我(無自性)を体得することによって個としての苦も無実体であることを身をもって知る。
    >
    > 但し、禅定はスポーツとか入浴と同じで、悟って終わりではなく、繰り返し行うことで維持できたり深まったり、日常で汚れた真我を清浄することができるのだと思います。
    >
    > 脳と見性に関しては、著名な脳科学者であるジル・ボルト テイラーが脳卒中から見性体験を経て回復するまでを記録した「奇跡の脳」が面白かったです。<

    熟達すると、自分の意志で、自在に脳の状態をコントロール出来得るのかもしれませんね。

    無我、って、どんな世界なのかなー

    無分別、って、、、

    って、やっぱり練習しないと難しいのかな、私の心の中に映る世界は、
    境界線ハッキリクッキリです (^^;;

    > 煩悩が完全に消滅することは少なくとも私に関してはありえないと思います。
    > 四苦(生苦・老苦・病苦・死苦)をはじめとした苦を克服することはなんとなくできそうな気はしますが、実際に病や死に対峙した時に、自分の見性悟道が本物だったかどうか分かるのでしょうね。<

    病や死に対峙したとき、ですよね

    そうかぁ、パニチェさんが、どう死ぬかはどう生きるかだ、みたいなこと
    おっしゃってたの、そういうことなのかなー(って勘違いしてたらすみません・汗)


    > 禅定せずに、哲学的な自己探究(〈私〉に関する問いやテーマ)でもって有余涅槃に至れれば、それに越したことはないですが、たとえ悟れなくても、修証一等(修証不二または禅戒一如:悟りと修行は離れたところになく同じ。一寸坐れば一寸の仏)を指針としています。<

    一寸坐れば一寸の仏、って、私の意識がはっきり注目する上でははじめて知りました。

    とてもいい言葉ですね。

    智慧、から、解脱目指されてるのですね。

    かしこいひとは、きっと、やさしい、ですよね (o^^o) (イメージ)

    やさしい人は、、、かしこくない人もいるのかな ??
    きちんと説明してくださって感謝です!

    今日の朝刊に、G20の写真が載ってて『大阪でケンカは、あかん』って大きめの文字タイトルついてました。

    この文字つくと、各国首脳が(各自企みいっぱいで)並んだ写真がとてもいい写真に見えました。

    関西わ〜るど、いいですね !

    うちの次男くんは、押しの強さが苦手みたいですけど(^^;;

    ありがとうございます、おつかれさまです

引用返信/返信 削除キー/
■1419 / inTopicNo.5)  Re[57]: 仏教の悟り
□投稿者/ パニチェ -(2019/06/29(Sat) 08:38:32)
    おはようございます、ピピットさん。投稿&レスありがとうございます。

    No1404に返信(pipitさんの記事)

    > パニチェさんは、人間は悟れると思いますか?
    > 悟りの区分は、わたしは預流果、一来果、不還果、阿羅漢果くらいしかわからないんですけど(今、記憶で書いてるので、正確な知識でなかったらすみません)、大乗仏教の区分で考えてもらってもいいんですけど、パニチェさんは悟りってあるって思われてるのかなー、って聞いてみたくなりました。

    私は悟りを脳のある状態と考えております。
    無我(無自性)を体得することによって個としての苦も無実体であることを身をもって知る。

    但し、禅定はスポーツとか入浴と同じで、悟って終わりではなく、繰り返し行うことで維持できたり深まったり、日常で汚れた真我を清浄することができるのだと思います。

    脳と見性に関しては、著名な脳科学者であるジル・ボルト テイラーが脳卒中から見性体験を経て回復するまでを記録した「奇跡の脳」が面白かったです。

    > ちなみにわたしは、悟りって実際にあったらいいなー、預流果になれたらいいなー、って思っています。
    > パニチェさんは、ブッダ目指す方 ?
    > それとも、そんなことは、わからないけど、自分というシステムを解明したい!みたいなかんじかなー
    > またよかったら、聞かせてもらえたら嬉しいけど、スルーしたかったらしてくださいね(^ ^)

    煩悩が完全に消滅することは少なくとも私に関してはありえないと思います。
    四苦(生苦・老苦・病苦・死苦)をはじめとした苦を克服することはなんとなくできそうな気はしますが、実際に病や死に対峙した時に、自分の見性悟道が本物だったかどうか分かるのでしょうね。

    禅定せずに、哲学的な自己探究(〈私〉に関する問いやテーマ)でもって有余涅槃に至れれば、それに越したことはないですが、たとえ悟れなくても、修証一等(修証不二または禅戒一如:悟りと修行は離れたところになく同じ。一寸坐れば一寸の仏)を指針としています。


引用返信/返信 削除キー/
■1404 / inTopicNo.6)  仏教の悟り
□投稿者/ pipit -(2019/06/24(Mon) 19:08:10)
    パニチェさん、こんばんは

    パニチェさんは、人間は悟れると思いますか?

    悟りの区分は、わたしは預流果、一来果、不還果、阿羅漢果くらいしかわからないんですけど(今、記憶で書いてるので、正確な知識でなかったらすみません)、大乗仏教の区分で考えてもらってもいいんですけど、パニチェさんは悟りってあるって思われてるのかなー、って聞いてみたくなりました。


    ちなみにわたしは、悟りって実際にあったらいいなー、預流果になれたらいいなー、って思っています。

    パニチェさんは、ブッダ目指す方 ?

    それとも、そんなことは、わからないけど、自分というシステムを解明したい!みたいなかんじかなー

    またよかったら、聞かせてもらえたら嬉しいけど、スルーしたかったらしてくださいね(^ ^)

    おつかれさまです!
引用返信/返信 削除キー/
■1357 / inTopicNo.7)  ピピットさんへ
□投稿者/ パニチェ -(2019/06/16(Sun) 08:07:25)
    おはようございます。

    No1352に返信(pipitさんの記事)

    > 詳しく教えていただいてありがとうございます!

    どういたしまして。

    > 制御してなくてもあれこれ考えないの理想だなー
    > わからんから考える。
    > いまはわからんことが、わからんから考える。
    > わかってたら考えないのかなー、と思いました。

    > あと、『絶対青い馬のこと考えたらあかん!』って言われたら、
    > 青い馬のこと考えちゃうなんてこと思いました。
    > ほんとのこと、知りたいな !
    > ほんとのこと知れてなおかつ幸せ、というのが、大理想です。

    思秋期の頃っていろんなことに疑問や矛盾を感じてあれこれ考えますよね。きっと純粋ってか純真やからと思います。
    大方の人は年とともに疑問も抱かなくなるし、矛盾にも麻痺してしまって感じなくなる。妥協に妥協を重ねたり、多くの人の意見や感覚に迎合してしまう。
    そういうのってつまらんなって思います。
    子どものような好奇心や何に関しても疑ったり、矛盾を矛盾として解決はできなくとも感じていたいな、と思います。

    > 場を提供してもらって感謝です。ありがとうございますm(_ _)m

    どういたしまして2!^^
引用返信/返信 削除キー/
■1352 / inTopicNo.8)  Re[54]: ピピットさんへ
□投稿者/ pipit -(2019/06/15(Sat) 17:49:14)
    パニチェさんへ

    詳しく教えていただいてありがとうございます!

    制御してなくてもあれこれ考えないの理想だなー

    わからんから考える。

    いまはわからんことが、わからんから考える。

    わかってたら考えないのかなー、と思いました。

    あと、『絶対青い馬のこと考えたらあかん!』って言われたら、
    青い馬のこと考えちゃうなんてこと思いました。

    ほんとのこと、知りたいな !

    ほんとのこと知れてなおかつ幸せ、というのが、大理想です。

    場を提供してもらって感謝です。ありがとうございますm(_ _)m

    おつかれさまです(^_^)
引用返信/返信 削除キー/
■1351 / inTopicNo.9)  Re[55]: 哲学的考察
□投稿者/ パニチェ -(2019/06/15(Sat) 08:59:46)
    2019/06/15(Sat) 09:05:22 編集(投稿者)

    痛いフリも含めて、やっぱこの手のテーマは行きつくところが、自由意志の有無とか、ラプラスの悪魔とか、これに対抗する不確定性が出てくるのかなぁ〜・
引用返信/返信 削除キー/
■1350 / inTopicNo.10)  哲学的考察
□投稿者/ パニチェ -(2019/06/15(Sat) 08:53:43)
    2019/06/15(Sat) 09:04:57 編集(投稿者)

    No1349に返信(パニチェさんの記事)
    > ■No1343に返信(エフニさんの記事)

    >>>そういう前提で(ディベートみたく)大いに反論してもらいたいのですが、クオリアとか意味理解ってのは、例えば虫が餌と餌でないものを判定(反応あるいは反射)したり、水と光を区別していることと何がどう違うのか、さらに大昔にセキバという論者がこれもディベートみたくあえて「信号機にも意志がある」という側を持ったのですが「信号機が青から赤になることを意志していると言えない理由は何か?私たちが二者択一することと何が違うのか?」なんてことについてエフニさんの>>>意見を聞きたいところです。

    >>セキバ氏の信号機は、ただ単に「中国語の部屋」をパラフレーズしただけで、問題の本質は同じです。
    >>すなわち、「信号機には意味理解がない」
    >>虫については、これはウィトゲンシュタインの「犬は痛いふりができない」という言葉に収斂されていますが、意味理解とは、機械的なコードやアルゴリズム、本能を超脱した世界を現前させることだと、私は認識しています。
    >>つまり、過去に存在しなかったもの、現在存在していないもの、そして未だ存在していないもの、これらに対して、喜怒哀楽しているマインドが、意味理解の前提になっていると思います。

    > もっともです。同意します。さすがです、的を射抜いています。^^
    > ってか、やっぱ自分が支持してない側の意見を持っても、やっぱ反論というか議論できませんね。
    > 私はディベートには向いてないことが分かりました。
    > 返信ありがとうございました。

    いや、ちょっと待てよ。
    意味理解と言っても所詮は脳が反応した結果の内的感覚を後付けで意味理解って言っているだけではないか?
    脳が発火した結果の思考や意味理解と回路に通電した結果に赤から青信号になると何か変わりがあるのか?
    信号機だって信号機なりの意味理解があるとしてもよいのではないか?なんてことをセキバなら反論しそうな気がします。

    これに返信は求めませんが、興味がある方は(知的な遊びや刺激として)反論してみて下さい。

引用返信/返信 削除キー/
■1347 / inTopicNo.11)  ピピットさんへ
□投稿者/ パニチェ -(2019/06/15(Sat) 07:57:33)
    おはようございます、ピピットさん。

    No1332に返信(pipitさんの記事)
    > こんにちは
    > 質問いいでしょうか?

    はい、喜んで♪^^

    > パニチェさんは、哲学的な思考はどのようにされていますか?
    > 制御されますか?

    特に制御はしてないんですが、平日の日中はあまり考えることがないというか、そういう機会がないですね。
    リアルで周りに哲学について話ができるような友人もあまりいませんし、職場では私が哲学好きなことを知ってる人もいるので、時々、特定のテーマについて質問されることはありますが最小限に答える程度で深入りしたり議論になることなんてのはありません。
    掲示板の全盛期にはレス交換するために書籍を調べたり、お薦めの本を教えてもらったり、自分の考えをまとめたり、見直したりできたので(掲示板利用の目的が同じ相手との議論やレス交換は)有り難かったです。
    今は休日に本を読んだりすることで自分が探究しているテーマなんかを深めたり、あれこれ考えたりするぐらいでしょうか。
    日常で何かの刺激でもってインスピレーションや突破口が思い浮かぶことがあればゆっくり考えられる時のためにメモをとったりはしています。

    > パニチェさんは仏教にも関心があるということで、私も仏教徒になりたいな・ありたいな
    > と願う者なので、どのように思考されてるのかなあと聞いてみたくなりました。

    無宗派の自称仏教徒ですが、仏教は信仰的側面はほとんど興味はなくて哲学的な側面に興味があります。あと仏教には八万四千の法門があると言われていて釈尊が相手の機根に合わせて説法した(対機説法)ことや仏弟子や高僧が自身の修行や学究から、さらに釈尊の教えてを展開したことから、さまざまな教えや道しるべ(法門や宗派)が残っているのだと思います。宗派や法門に深浅優劣をつけるのはナンセンスだと考えており、それこそ見取見(十根本煩悩のひとつ、自分の考えや自分の見解を絶対視し固執すること)や遍計所執性だと考えます。
    初期仏典も大乗仏典も広く浅く読んでおり、私の機根に合うのは四諦八正道、相依性縁起、四法印で、好きな宗祖は道元禅師やナーガールジュナ(龍樹)です。
    如何に生きるかは如何に死ぬかと同義だと考えているので、これに決着をつける指針として仏教は役に立ちますし、指針としては私にとって同類のニーチェが劇薬ってこともあるので仏教で中和してるってところもあります。^^

    あと仏教は自己探究であり、脳科学や哲学や物理なかも、私の探究しているテーマとリンクするので、これまた広く浅く読んでいます。

引用返信/返信 削除キー/
■1333 / inTopicNo.12)  ピピットさんへ
□投稿者/ パニチェ -(2019/06/12(Wed) 21:20:04)
    こんばんは。レスありがとうございます。
    ちょんと返信したいので時間のある土日にレスさせてもらいます。
    よろしくです。^^
引用返信/返信 削除キー/

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